日の出とともに目覚め、働き始め、日暮れには労働を終えて、夜は眠る。近代の工業化は、こうした自然の周期に従った暮らし方のサイクルを変えてしまった。最後に残された領域は農業ぐらいかもしれない。

『24/7』という本書のタイトルは、21世紀の資本主義が「連続的な労働と消費のため」に睡眠を奪い、人間を「24時間週7日単位」という陰影のない社会に置くようになったことへの告発である。

テロの容疑者に対する代表的な拷問の一つが、睡眠剥奪であったことは、よく知られているが、今や普通の人々が、自ら睡眠剥奪の生活に浸っているのである。

21世紀の資本主義は、絶えずコミュニケーション、消費、欲望、需要といった項目以外に生きることの選択肢をなくしてしまう世界であり、従って、「睡眠からは、いかなる価値も引き出すことができない」。なぜなら「不眠こそが、生の消耗や資源の枯渇を加速させながら、生産・消費・廃棄をひっきりなしにもたらす状態をつくる」からだ。睡眠こそが、無価値なものとなるのである。

その事態を加速しているのがインターネットに代表される「テクノロジー」であることはいうまでもない。すべてを覆い隠すテクノロジーという仮面は「人間の生活全般を中断なき持続のなかへ刻み込み、連続的な機能としてという原則によって定義される。クロックタイムを超えた、もはや過ぎ去ることのない時間」に、人間の生を置こうとしている。そのうえで著者は「テクノロジーを貪欲や蓄積や環境破壊と切り離す生活を提唱することは、制度として禁止しておくべきもの」という時代になっていると論じる。

1990年代にインターネットの利用が始まる。それは情報通信の基盤インフラを根底から変える技術であり、時間と空間の概念を地球規模で、今の言葉で言えば、グローバルに変えている。著者は「1990年代は、ポスト産業の時代ではなく、ハイパー産業時代の始まりであった。この時期に、大量生産の論理は、製造と配給と従属化とを空前のやり方で地球規模にゆだねることによって、にわかに整備されたのである」と表現している。

睡眠が無価値になり、不眠が常態となることで、夢の存在すら、その本来の意味を失う。「24/7の世界は、陰影や暗さ、交代する時間が除去された脱魔術化された世界」になったのである。それは、「陰影のない光に照らされた世界は、ポスト・ヒストリーという資本主義の最後の蜃気楼となり、歴史的原動力であったはずの他者性は悪魔祓いされている」という言葉に集約される。

著者のクレーリーは著名な現代美術批評家であるだけに、経済の専門家とは違う視野で、21世紀の資本主義がもつ怖さを、「睡眠」という主題から展開している。

難を言えば、訳文があまりにこなれていないために、随所で立ち止まり引っ掛からざるをえないことが残念である。