「初のママ役員」はなぜ炎上したのか

戦後の日本において、家事や育児、介護の多くを期待されてきたのは専業主婦だ。1978年の『厚生白書』で「同居は福祉における含み資産」とされたことからもわかるように、社会制度もそれを前提として設計されてきた。専業主婦が担ってきた日常生活、いわゆるプライベートは、市場経済のようなパブリックには直接登場しない領域である。いってみれば、現代社会は専業主婦の「見えない貢献」を前提に成り立ってきた。この事実を踏まえると、安倍晋三首相が推進している「すべての女性が輝く社会」は、専業主婦の貢献を「見えない」状態にしたまま議論が進んでいるように見える。

こうした違和感はさまざまな場所で表されている。たとえば昨年11月7日に放送されたテレビ番組『朝まで生テレビ』では「女性が輝く社会」がテーマとなった。だが、3時間の討論の中心は「女性の働き方」で、パネリストの荻上チキが自身の妻の就業形態について「専業主婦」と発言すると、ほかのパネリストがどよめく場面もあった。これに対し荻上は「ここまで働き方の話しかしていませんが、働かない女性や子どもを育てない女性、すべての女性が輝く多様性のある社会を目指す議論と考えていいのでしょうか」と問い糾し、ネットではこの姿勢に共感するという書き込みが目立った。

また今年4月には大和証券の女性役員の働き方を報じたウェブサイト『日経DUAL』の記事にも注目が集まった。取り上げられたのは大和証券で6人目の女性役員となった広報部長の白川香名さんだ。白川さんは、大和証券では初めての「子育てをしながら役員になったケース」で、見出しには「子育ても仕事も自然体で女性役員に」とあるが、記事に書かれている彼女の生活ぶりはかなりハードだ。「第1子出産後、育休を取らずに8週間で復職した」「第2子出産では妊娠8カ月まで妊娠を伏せ、予定日の1カ月前に破水した」。パブリックを優先させると、プライベートが排除されるという社会学の古典的な指摘を、白川さんがまさに体現しているように私には読める。

この記事に対して、ネットにはさまざまな反応があふれた。「自然体とは呼べない」「一歩間違えたら母子ともに危なかった」「こんなスーパーウーマンを前例とされたら後が続かない」。背後にあるのは『朝まで生テレビ』への批判と同様、日常生活を支えてきた専業主婦への評価が欠落しているという苛立ちなのではないか。

専業主婦の「見えない貢献」が政治や経済で軽視されてきたのは、専業主婦批判からも明らかだ。例えば「家にいて怠けている」「夫の稼ぎにぶらさがっているパラサイトだ」といった議論には、パブリックとプライベートは社会の両輪だという視点が欠けている。保育や育児に関する現行制度や労働環境があまりにも多くの問題を抱えることになったのは、専業主婦の「見えない貢献」に企業や行政が依存し続けた帰結である(※1)。現在の社会状況を踏まえれば、現行制度や労働環境の改善が急務である事実に疑いはない。しかしそのための方便として、パブリックがプライベートに優るとの位置付けが用いられているようにみえる。