ターゲットユーザーは「自分たち」

このS660にはさまざまなエピソードがあり、誕生までに異例の開発ステップを踏んだ。2010年、本田技術研究所の創立50周年を記念して「新商品提案企画」と実施。エンジニア立ちから寄せられた約400の提案の中から小さなスポーツカーがグランプリに輝いた。そのクルマの提案を行ったのが、入社4年目で26歳の椋本陵氏だった。

「S660」の開発陣。後列右から4人目が椋本陵LPL。

当初、製品化の予定はなかったが、11年に完成した試作車に伊東孝紳社長が試乗したところ、非常に気に入り、製品化が決まる。そして、開発責任者のLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)に提案者の椋本氏が抜擢され、ホンダで史上最年少となる開発責任者となった。もちろん、そのサポート役にベテラン技術者3人が据えられ、LPL代行として社内のさまざまな調整を担当した。

開発メンバーも、これまでほとんど行ってこなかった公募で選ぶことにした。すると150人ほどの手が上がり、その中から20代~30代の若手を中心に15人が選ばれ、開発チームは発足した。

開発の進め方についても独特で、「ターゲットユーザーは自分たちということで、お客様の声や市場の動向など全く考えなかった」(椋本氏)そうだ。これまでのホンダはユーザーの声を多く聞き、それをできるだけ反映させるようなクルマづくりを行ってきた。その結果、装備は充実しているものの、尖ったところのないクルマになってしまったが、S660はそれとは180度違い、「自分たちが乗りたいクルマ」だけを考えてきたわけだ。

そのため、発売されるや否や、ほとんどの開発スタッフが販売店を訪れ注文したそうだ。「自分たちがつくったクルマを買って、みんなで集まって走ろうと考えているんですよ」とは椋本氏の弁だが、こんなことは最近のホンダ車には見られなかったことだ。