■山田里志さん profile
年齢:51歳
年収2180万円
貯蓄1000万円
住居静岡県伊東市宇佐美の海が見える別荘。
月の生活費60万円(息子の学費含む)
10年後のビジョンすべての物件のローンが完済になる予定なので、今まで行ったことのない海外をゆっくり旅行してみたい。

山田さんは1955年、東京生まれ。都内の国立大学を卒業後、紙関連のメーカーに就職。93年より不動産投資を始め、2006年念願のハッピーリタイアを実現。著書に『実録・サラリーマンの私にもできた! アパート・マンション経営』など。
http://www2.wbs.ne.jp/~satosi/

山田里志さんは少し前まで紙関係の会社に勤める一見平凡なサラリーマンだった。それが今は、東京都内のほか、長野県などに4軒の貸しアパートを経営、相模湾を見下ろす伊豆と宇佐美に一戸建てを所有。月額約112万円の家賃収入がある「大家さん」として、50歳で早期退職、自然に囲まれた宇佐美で悠々自適の生活を送っている。

「きっかけは、1989年に東京・多摩に購入した一戸建てのマイホーム。静岡に転勤が決まり、賃貸に出したんです」と山田さんは言う。社宅の家賃はタダ同然。今まで銀行口座から出ていく一方であった持ち家の負債が、お金を生む資産へと180度転換した。

「家賃という不労所得を得て、不動産経営に目覚めました。おかげでローンも5年後に繰り上げ返済できました」

これに味を占めた山田さんは、2番目の投資に乗り出す。母親の実家近くにある長野県諏訪市で83坪ほどの農地を相続、それがアパート用に適していると判断し、400万円の自己資金に2800万円の借り入れを起こして新築購入。だが、余剰金はほとんど生まれず、4室のうち1室が4カ月間空室になれば、わずかな余剰金すらもなくなってしまうことがわかった。さらに、静岡の社宅を出るとき同市内に2500万円の新築物件を購入してみた。が、これもいまだローンが残っており、投資として成功したとはいえない。

「今なら、絶対にやらない方法です。リゾート地には、バブル崩壊後から、中古マンションや旅館などが破格の値段で売り出されており、リフォームすれば、アパートに転用できる。新築よりはるかに効率がいいのです」

2度の失敗から、より効率的に投資をすることを学んだ山田さんは、大家業のコツを見出した。

「成功の鍵は、まず優良物件のオーナーになることです。満室時に16%以上の高利回りが期待でき、中古でも築15年以内、すなわち平成築の物件であること。前年度の稼働率が80%以上の好立地で、今後も同じくらいの稼働率が見込めなくてはなりません」

この原則に従い、山田さんはその後、札幌、群馬県太田市の中古アパート、埼玉県本庄市の中古マンションを、自己資金と以前買った不動産の共同担保で次々購入。札幌では、東京などと異なり、礼金ゼロは当たり前で容易に引っ越すケースが生じることも知った。

サラリーマン大家さんとして、アパート経営の本とセミナーのDVDなども出している山田さん。「自分のやり方から学んで、成功してくれる大家さんが出たらうれしい」。

サラリーマン大家さんとして、アパート経営の本とセミナーのDVDなども出している山田さん。「自分のやり方から学んで、成功してくれる大家さんが出たらうれしい」。

そこで山田さんは、稼働率を上げるため、100円ショップなどを利用して、なるべくコストをかけずに中古物件をリフォーム。仲介業者とも話し合い、札幌以外の場所でも礼金をゼロにし、家賃も最低水準に抑える。学生時代に住み込みで新聞配達をし、その後アパート暮らしも経験している山田さんは、借り手の気持ちをよく理解できる。何より、もともと利回りが高い物件だからこそ家賃を下げられるのだ。結果、どこの物件も稼働率は9割近い。

何事も自分で体験し、そこから学ぶことを大切にしている山田さん。最近、ネットカフェ難民のニュースを見て、自ら東京・蒲田のネットカフェに宿泊してみた。

「体を伸ばせず、ぐっすり寝ることなんてできませんでした。長く寝泊まりして働く力が湧くはずがない」

山田さんは、1人の大家として、ネットカフェに寝泊まりするいわゆるワーキングプアの人々に、自分のアパートに入ってほしいとすら思ったという。

「東京で暮らせないなら、太田や本庄などの比較的発展している地方都市で出直すといい。私のアパートには横になれる場所も、お風呂もあります。働く場所も比較的多く、稀少な高利回りのアパート物件はそんな活気ある地方都市にこそ残っているのです」と山田さん。3人の子どものうち末の息子は大学生でまだ学費がかかるが、山田さんの懐には月額約112万円の家賃が入ってくる。2006年春、50歳で念願のハッピーリタイアを実行した。

「多くの人が退職金を不動産投資につぎ込んで失敗しがちですが、私はサラリーマンという安定した身分のうちに投資し、失敗から学んだ。退職後、幸福に長生きしたいという目標があったからです」と山田さんは言う。実は、山田さんの父親は、退職後2年ほどで亡くなった。だから、若い頃から自分は50歳でリタイアして老後を楽しみたいと強く念じていたのだという。

常に自身の立場を客観視して、そのときに必要な手を打つ客観的視点を自身の中に持つ。時代に文句を言わない発想の転換と努力により、山田さんは理想の老後をつくり上げたのだ。

(撮影=内山英明)