出向先で考えたテナントの管理

72年春に東大法学部を卒業して三越に入社、本店1階のハンドバッグ売り場へ配属される。お客も社員も女性ばかりで、2年間、女性に囲まれて過ごす。その後、総務部門へ異動し、労務などを担当した。ここから30年間、部署の名はいろいろだったが、人事、労務から契約、防犯・防火に至る「総務・業務」の仕事が続く。

77年秋に出向した東京・東池袋のサンシャインシティの運営会社では、主にテナントとの契約を受け持った。同社は池袋副都心構想に基づいて設立され、東京拘置所の跡地を再開発した。公募で命名された複合施設に、地上60階の展望台や専門店街を皮切りに、水族館や劇場などが、次々に開業していく。

当初は別の百貨店2社が進出する予定だったが、第一次石油危機後の不況が長引いて取りやめとなり、三越の社長に相談がきた。そこで出た案が、様々な輸入品を販売する「ワールドインポートマート」。テナントとの契約作業を重ねるなかで、衣料品や装飾品、食料品など多数多様なテナントを、どう管理すればいいのかを考え始める。行き着いたのが、いまで言うテナント管理システム。この経験は、のちに、テナントが主体になっていく百貨店の経営陣に加わったとき、大いに役立った。

銀座店の総務部ゼネラルマネジャーになるまで14年間をすごした本社人事部で、深く胸に刻まれるものがあった出来事は、82年9月のワンマン社長の解任劇だ。詳細は省くが、数カ月前からワンマン経営の暴走ぶりが報道され、公正取引委員会には出入り業者に対する「優越的地位の濫用」が認定された。ついには、取引銀行からきていた社外取締役を中心に、解任への動きが進む。