結果を出せば認めてもらえる

「“学歴社会”と言いながらも、実際は“実力主義”だと思いました。結果を出せば、認めてもらえるのだな、と。あの頃は、同期の大卒社員よりもリーダーに早く昇格することができましたから。うれしかったですね」

GEMBA代表の工樂英樹さん。1997年、東放学園映画専門学校卒業。

CG映像の企画・制作をする「株式会社GEMBA」(本社・渋谷)の代表取締役・工樂(くらく)英樹氏(38)が社会人になった頃を振り返る。GEMBAは2006年に、映像全般の企画・制作を行うデジタル・フロンティアの子会社として創業した。工樂氏は当初から、代表取締役を務める。数人からスタートし、9年後の今、社員は60人を超えるほどに成長をしている。

工樂氏は、CGデザイナーとしてのキャリアを築くことに、早くから目覚めていた。1995年に東放学園映画専門学校に入学した。

「私の親からは、大学に進学したほうがいいんじゃないか、と言われたこともあります。いい大学を卒業し、いい会社に……といった価値観がまだ強くあった時代に、親は会社員をしていましたから。今の時代もそんな考えがあるのかもしれませんが、私は専門職として自分が好きなCGを極めたいと強く思ったのです」

97年に専門学校を卒業し、入社した老舗のCG制作会社では、「学歴の壁」にぶつかる。同期に入った美大卒の社員との間に給料の差があることを知る。それを工樂氏は、持ち前の反骨精神で克服した。

「正直なところ、ちきしょーと思いましたね。それをバネに猛烈に仕事をしていました。会社は、早いうちに昇格させてくれたのです。チームを率いるリーダーになると、給料の差はもうなかったと思います。自分のほうが多少、多いんじゃないかと感じました」

一方で、美大卒の同期社員の実力には感心するものがあったという。

「美大って、すごいと感じました。ベースが自分とは違うんですね。土台というか、地というか。例えば、デッサンは本当に上手いですよ。基本ができている、と感じました。大量に描いてきたみたいですから、クリエイターとして作品をつくる耐久力もありますよね」

CG制作会社で3年半ほど、デザイナーとして勤務する。その後、23歳のとき、フリーランスとなる。先輩のデザイナーらと一緒にユニットを組み、3年ほど、仕事をする。仕事を順調にこなしていくが、ユニットは解散となる。4年目からは、ひとりで仕事を始めた。27歳のときだった。

「本当の意味でフリーになるわけですから、この1年間は営業に専念していました。ユニットで仕事をしていた頃と比べると、年収は相当に少なくなりましたね。食べていくのが、しんどいと感じたくらいです」

反骨精神を生かし、熱心な営業を続けた結果、2年目には仕事が大量に舞い込むようになる。もはや、ひとりでは対応できないほどだったという。この頃に、会社を設立することを考えはじめる。翌年は仕事の量は一層に増えた。真剣に創業を模索するようになった。