見知らぬ人からの一本の電話

戻った実家に籠ったまま、「自分の存在が消えてもいいかなと思って」3日間、外に出なかった。

「でも、残念なことに……というとおかしいけど、自分はまだ生きている。生きている以上は動かなきゃならない。割り切れてはなかったけれど、とにかく止まっているわけにはいかない」

当時の師匠だった小林健二9段(現師匠は引退した桐谷広人七段)には、「一から出直せ」と諭された。学歴上は中卒。通信制の高校に通い、車の免許を取り、レンタルビデオ店でアルバイト。そんな状態が1年半ほど続いた。

将棋は、続けていた。

「やめよう、お休みしようと思った時期もあったんですけど、福山のまったく面識のない方から、唐突に電話がかかってきたんです」

その相手に、「将棋を捨てるのはもったいないですよ」といわれたという。

「奨励会を退会した人間って、いってみれば無価値なわけですよ。なのに、少なくとも今までやってきたことを認めていただいた。『もったいない』という言葉はすごく有難かった」

そうしたよき理解者の存在に加えて、相手がアマ・プロ問わず匿名でいつでも指せるネット将棋の存在も一助となった。

それまでもその先も、人生の節目節目になぜかこうした“お助け人”が目の前に現れる、と今泉氏はいう。大手レストランチェーンからお呼びが掛かったのも、その一つかもしれない。

「有難いことに、正社員として4年ほど働かせて頂きました。大手だったので、最初は僕なんかが働けるのかなと思いましたが、大阪・吹田にアパートを借りて、スパゲティ専門店で接客や調理をさせて頂きました。だから、今でも包丁は使えますよ」

ちょうどその頃、棋界を越えた世間で話題を呼んだのが、サラリーマンからプロ棋士への異例の転進を果たした瀬川晶司氏だった。

今泉氏と同じく夢破れた元奨励会員ながら、プロ相手に勝率7割という実績を挙げ、アマ強豪らの後押しで2005年、日本将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出。若手プロとの五番勝負を戦って見事、プロ四段編入を果たした。

同連盟はこれを機に06年、奨励会を経ずとも一定のハードルを越せば三段リーグに編入、もしくはプロ四段になれる制度を設けた。「完全に終わったことだと思っていた」という今泉氏に、もう1度挑戦するチャンスが生まれたのだ。「アマチュアのビッグタイトルで優勝した人が三段リーグ編入の受験資格を貰えるときいて、私も行ける! と勝手に思って」、今泉氏は衝動的に会社を飛び出した。

ただ、かつて「プロ・アマの差が最も開いた世界」と言われた将棋界も、近年はアマチュアのレベルアップが著しく、プロがアマに平手で敗れることも珍しくなくなった。元奨励会員といえども、アマ棋戦で勝ち抜くのは難しい。

しかし、06年に初タイトル「アマチュア竜王位」を獲得していた今泉氏、ここからアマ王将、平成最強と立て続けにビッグタイトルを奪取した。

「不思議なもので、急に獲れるようになったんです。もちろん技術が急に上がったわけではない。どちらかというと、精神的なことのほうが大きいかな。社会人を何年かやらせてもらって、その中で色んなことを乗り越えてきたから、奨励会を退会した頃の僕とは絶対違っているという思いはありました」