現在の三澤は、従来のプレハブとは対極にある“200年住宅”「HABITA」を擁し、住宅業界に再び打って出ようとしている。柱と梁を太くし、十分に乾燥させた地場の国産材を使って、日本の平均的な住宅の5倍の耐久性を実現しようという野心的な試みだ。

ミサワホームの木質パネル接着工法は、三澤自身が天井裏の梁が邪魔だと感じたことから発想した。三澤はいま、それとはまったく逆の重厚な住宅づくりで、業界に一矢報いようとしているのだ。

「建築家はだいたい70歳を過ぎてから代表作をつくるんです。丹下健三さんの設計した東京都庁を見てください。だから僕も、これからいい作品をつくります。これまでのことは『ごめんなさい』というしかないですね」

飄々という。ミサワホームを離れた直後、個人資産から7億5000万円の資本金を捻出してミサワ・インターナショナルを起業した。すでに販売・施工の協力会社が20社ほど集まり、今年から販売を開始している。なかには「三澤さんがまた事業をやるなら」と意気に感じて名乗りを上げた業者もいる。商談の場では、自然、昔話に花が咲く。

「若いころの僕に、灰皿をぶつけられたっていう人もいましたね。お客さんに湯のみを投げつけた、という話も聞かされました。しかもそのお客さんは家を建てさせてくれたというんです。でも僕には、まったく覚えがないんですよ(笑)」

無我夢中でミサワホームを伸ばしていたころのエピソードである。ミサワ・インターナショナルの実質的な営業初年度である昨年は1億円の利益を確保した。今年はそれを6億円に増やし、さらに来年は24億円に持っていく計画だ。

「市場はどこでもいい。上場を目指しています。そして最終的には、住宅最大手になりたいですね」

長命の両親にあやかり「僕も100歳まで生きますよ」と笑う。それまで30年。雪国・新潟生まれの粘り強さで、どこまでその夢を実現できるだろうか。