NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』(原作司馬遼太郎)の主人公、秋山兄弟の兄好古(よしふる)は「日本騎兵の父」と呼ばれる名将だ。

その性格は無欲恬淡(むよくてんたん)にして豪放磊落(ごうほうらいらく)。酒好きで知られる。戦場においても、水筒の酒を切らすことがなかった。

日清戦争のときのこと。

明治27年(1894)11月18日朝、騎兵第一大隊を率いる秋山好古少佐は、騎兵第六大隊の一部を併せた「秋山支隊」を率いて、営城子を出発し、午前10時ごろには南西方面の山間堡というところに達した。さらに土城子まで支隊を進めたところで、旅順北方の水師営方面から北進してくる清軍の第一旅団の大部隊と遭遇した。部下たちにとっては、日清戦争での緒戦となる。好古は、当然のごとく戦闘を命じたが、状況は圧倒的に不利だった。

馬上の好古は水筒の酒を飲みながら、敵が待ち伏せるほうへ悠然と進んでいった。そのさまを見た部下たちは思った。〈桜花爛漫のなか、酒客が盃を傾けているような風情だ〉

あまりに危険なため、副官が好古を退がらせるほどだった。

中隊長のひとりが戦死したとの報告を受けても、好古は「敵の砲兵陣地に乗馬襲撃を敢行せよ」と命じた。

部下たちは思ったはずだ。〈酔っぱらっているのではないか。あまりに無謀すぎる命令ではないか〉

だが命令である以上、従わなければならない。

司令部には「騎兵第一大隊全滅」との報まで伝えられたが、じっさいには戦死者1人、負傷者6人ですんだ。

好古には信念があった。

もし、ここで退却すれば、戦争がはじまったばかりだというのに部下たちの士気が下がってしまうことになる。

10年後の日露戦争時でも、似たようなことがあった。

明治37年5月30日、秋山好古少将率いる騎兵第一旅団がロシア軍との緒戦を迎えたときのこと。

曲家店北方の田家屯南方で撃ち合いがはじまった。

好古が第一線まで出て敵情を視察していると、部下が上申してきた。

「わずかに戦況を挽回したこの機会に、後方の隘路まで後退し、その隘路をしっかり占領したほうが有利であります」

だが好古は「うむ」と言ったきり、水筒の酒を飲み、民家の石垣のうえにのぼって、ごろんと寝ころんだ。

後退はしない、という意味だ。〈自分たちは死にものぐるいで戦っているというのに、この上司は酒を飲んで、寝てしまい、あとは耳も貸さないとは、どういうことなんだ〉

やがて、ロシア軍は退却をはじめ、騎兵第一旅団は窮地を脱した。のちに好古は副官に打ち明けている。

「もし、あのとき後退していたら、もっとも肝心な緒戦であるにもかかわらず、わが騎兵の士気が下がることになる。それだけではない。わが騎兵がロシア軍の騎兵から馬鹿にされてしまう。だから、あのとき、おれは聞かんふりをして寝てしまったのだ」

日清戦争のときも日露戦争のときも、部下たちには、好古はめちゃくちゃな命令を下すだけでなく、酒を飲んで酔っぱらっている上司に見えたかもしれない。だが好古には「どんなことがあっても部下たちの士気を下げさせるわけにはいかない」という信念があった。

目の前で苦しんでいる部下たちをかわいそうだと思って守りに入れば、そのあと、戦場ではどうなるのか。士気の下がった部下たちは腰が引け、かえって大きな犠牲を払うことになる。大事な部下たちを失ってしまうことになる。好古は、それが予測できていたのだ。