東京支店へ戻り、今度は問屋を担当した後、千葉営業所へいき、野田や流山というお膝元を受け持った。堀切という姓で、創業一族だとわかってしまう取引先が少なくない。やりやすい面もあるが、やりにくい点もあった。36歳のときに本社へ戻ったが、それまで10年ほど営業現場が続き、生産現場と双方に基盤ができた。

本社では、酒類事業本部で過ごす。ワインの新商品などの企画を皮切りに、堀切家と縁の深い味醂も扱った。焼酎ブームが広まり、「トライアングル」という名の黒い瓶入りの甲種焼酎が大ヒットした。販売促進の仕事にも携わり、多忙を極め、「営業ひと筋で歩むのか」と思い始めていたときに飛び込んできたのが、冒頭の日米シンポジウムの準備役だった。

2013年6月、持ち株会社キッコーマンの社長CEOに就任。創業一族からは久しぶりのトップだ。すぐ、社内に「一人一人が自己完結するのではなく、周囲に影響を及ぼす議論を通じて、社員同士が化学反応を起こしてほしい」と呼びかけた。

天命に身を委ね、仕事をただ消化していくだけでは、飛躍は生まれない。もっと周囲と交わり、新たな天命をも呼び込んでほしい。やはり「豈偶然哉」であり、偶然に任せていてはいけない。やるべきことをやれば、道は必ず切り拓かれていく、と知っていた。

キッコーマン社長 堀切 功章
1951年、千葉県生まれ。74年慶應義塾大学経済学部卒業、キッコーマン醤油(現・キッコーマン)入社。2002年関東支社長、03年執行役員、06年常務執行役員、08年取締役常務執行役員、11年代表取締役専務執行役員。13年より代表取締役社長最高経営責任者。堀切家は同社創業八家の一つ。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
【関連記事】
ごはんにもお酒にも合う老舗料亭の味 -キッコーマン 堀切功章社長の手土産
『マンチュリアン・リポート』
アメリカに工場進出40年、しょうゆに賭けた男たち
新市場づくり:「100年後の未来」を見据える -キッコーマン社長 堀切功章氏
無縁の土地での新規開拓。自ら顧客をつくり出す -キッコーマン名誉会長 茂木友三郎氏