小説家、牧場主、政治家

【塩田】知事就任までの経歴を見ると、高校卒業後、地元の農協に就職して農業研修で渡米した後、学問の世界に転じて政治学を専攻し、ハーバード大学大学院で学んで、帰国後、大学教授にという異色の人生です。なぜ政治学をやろうと思ったのですか。

【蒲島】小さいとき、3つの夢がありました。小説家、牧場主、そして政治家です。プルターク(英語名。プルタルコス。帝政ローマのギリシャ人作家)の『英雄伝』を読んでジュリアス・シーザー(英語名。ユリウス・カエサル。ローマの将軍)みたいな政治家になりたいと思い、ずっと政治が頭の中にありました。ただ、遠い夢ですね。実際は貧乏なところから這い上がり、アメリカに行って、そこで農業に挫折し、政治に向かうのはそれからです。

私は農協には勤めていましたが、農業をやったことはありませんでした。農業って大変なんです。農協をやめ、派米研修生としてアメリカに渡ったんですが、その農業研修で農業の辛さが身に染みました。ただネブラスカ大学で学科研修を受けたとき、初めて勉強の面白さに目覚め、農業より勉強のほうが楽だと思ったんです。それで一度、日本に帰り、24歳でアメリカに戻ってネブラスカ大学の農学部に入り、豚の精子の保存法を研究しました。

卒業は28歳で、6年遅れていましたが、指導教授が「大学に残らないか」と言ってくれたんです。でも、生涯、勉強するのだったら一番好きなことをやりたいと思い、そこで政治学が浮かんできました。やはり政治家の夢がずっと残っていたんです。それで勉強するなら、一番いい大学に行きたいと思ってハーバード大学に行き、通常5~6年かかる博士号を4年弱で取って日本に帰ってきました。

【塩田】政治学者として「参加型民主主義」を研究し、提唱していますが、なぜそこに着目したのですか。

【蒲島】デモクラシーの中には、エリート型民主主義と参加型民主主義があり、私はエリート型民主主義のサミュエル・ハンティントン(ハーバード大教授。アメリカの政治学者)と参加型民主主義のシドニー・バーバ(ハーバード大教授。アメリカの政治学者)という2人の先生に学びました。ハンティントンは、より効率的に国を治めるにはエリートが主導する民主主義がいいと考えます。一方、ジャン・ジャック・ルソー(フランスの政治哲学者)以来の参加型民主主義は、人々が参加すれば、組織や国、県と一体感を持つようになり、政治への関心も高まり、優れた市民になるという点がプラスの面ですが、遠回りなんです。

私は、時間がかかっても、やはり一緒に考え、一緒に参加し、一緒に話し合い、選挙にも一緒に行くという国でないと長続きしないと思います。参加型民主主義と政策の革新性を両立させている北欧などはそうです。日本は政治をとても冷ややかに見ていますが、参加しないことが自分たちのためになるかというと、そうでもないんです。

私は参加型民主主義者です。ダム問題の反対派の人たちから責められ、罵倒されたりしても、反対派の人たちがこういうふうに参加するから、県庁もその考え方をわかろうとするし、その考え方に沿えないかとか、いろいろ考える努力をするわけです。参加されたみなさんが帰るとき、私は「今日はありがとう」と言って、必ず両手で握手します。

もともと私は調和型です。博士論文は調和型民主主義です。日本の発展は、権力側にいる自民党と官僚を、発展から遅れた地方の有権者が支える形で実現しました。ハンティントンは発展、平等、参加、安定は同時には実現できないという考えですが、日本だけが巨大な分配によって発展・平等・参加・安定の四つを実現しました。それを私は「調和の理論」と言っています。