なぜ憧れられる外科医を目指すのか

ビジネスマン、ビジネスウーマンの中にも部下との付き合い方に悩んでいる方がいると思いますが、私は若い心臓外科医にチャンスを与えることはしますが、「お前に任すよ」と手術を丸投げすることは決してありません。上司が経験の少ない部下に仕事を無責任に丸投げしたとしたら、経験豊富な上司がやったときより良い結果になるはずがありません。たとえ比較的簡単な手術だったとしても、若いスタッフが執刀すればその経験の範囲での仕上がりになります。「部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の責任」と言うような上司には絶対になりたくありませんから、若いスタッフが執刀するときでも自分がメインで執刀したときと同じ結果になるようにサポートします。

「どうしてそこまで自分を追い込むのだ」と言われることもあります。今でこそ、大学の医局に所属しない医師も多くなってきましたが、私が医師になった頃は、医局に所属せずに、大学卒業後すぐに民間病院に就職する道を選ぶことは将来へのリスクと考えられていました。私は大学の医局に残れば、心臓外科医として腕を磨きたいという思いがかなわないと考え、症例数が多く経験を積ませてもらえそうな民間病院で働く道を選びましたが、同級生や先輩たちには随分反対されました。

考えてみれば、子供のころから、みんなが「いい」と言う方の逆を選ぶのが好きだったかもしれません。医局を飛び出せば後戻りできないところまで自分を追い込めます。自分で事業を興している方もそうではないかと思いますが、あえて厳しい道を選んで理詰めで挑んでこそ勝機があります。手術も同じで、やると決めたからには全力を尽くしてセオリー通りによりよい結果を追求します。

ベテラン外科医が格好良く生きなければ、誰も外科医を目指したいと思ってくれなくなるでしょう。こういう外科医になりたいと憧れてもらえるようなロールモデルになるべく、今年も突っ走っていきたいと思います。「ライバルは、小説や映画にもなった漫画『メスよ輝け!!』(集英社文庫)の主人公当麻鉄彦」とずっと言ってきましたが、私自身が次なる当麻鉄彦に凌駕されたいですし、私を追い越す若手が出てきて欲しい。その若手が次世代の当麻鉄彦に追い抜かれるといったように、良い循環で最高の結果を出せる外科医がどんどん頭角を現すように持って行くことが、これからの使命だと考えています。

天野 篤(あまの・あつし)
順天堂大学医学部心臓血管外科教授
1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年より現職。冠動脈オフポンプ・バイパス手術の第一人者であり、12年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀。著書に『最新よくわかる心臓病』(誠文堂新光社)、『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『熱く生きる 赤本 覚悟を持て編』『熱く生きる 青本 道を究めろ編』(セブン&アイ出版)など。
(構成=福島安紀 撮影=的野弘路)