自分を「永遠の偽善者」だと思う理由

【塩田】その後、政治の世界に入ったのは、どんな動機と経緯だったのですか。

【山中】スウェーデンで医療や福祉の活動をしていた山井和則さん(現衆議院議員。民主党)の著書を読んで、山井さんの生き方に強い関心を持ち、門を叩きました。山井さんの紹介でスウェーデンにも1カ月くらい出かけて勉強しました。

山井さんがNTTの労働組合の組織の支援を得て議員になっていた関係から、松下政経塾にいたとき、三重県出身の伊藤忠治さん(当時、衆議院議員。民主党)の事務所で研修させてもらいました。その流れで民主党三重県連の事務局に勤めました。その後、松阪を選挙区としていた森本哲生さん(当時、衆議院議員。民主党)の秘書を経て、三重県議になりました。民主党三重県連事務局にいたとき、岡田克也さん(現民主党代表代行・元外相)や森本さんから「君が活動しているフィールドを見にいきたい」と言われて、私が案内役でケニアの最貧困地帯にお連れしました。そういうご縁も重なり、政治の世界に巻き込まれてしまいました。

私はそれまでの人生でさまざまな「現場」に触れる中で、途上国でも日本でも、どの世界にいても、さまざまな違った価値観を持つ周りの人たちの痛みや幸せに寄り添う仕事をさせてもらえる人生を歩みたいと確信しました。その結果として、単なる一つの道としていま政治の世界にいるだけだと思っています。県議選に出たときも「1%の痛みに挑戦する政治」を掲げ、当選後も、他者の痛みに寄り添うということばかり話しています。

【塩田】夜の世界で猛烈に働きながら外交官試験に挑戦し、その後に医師となってアフリカに出かけ、帰国後、県議を経て、33歳という若さで市長になるという人生は、普通の人には真似ができない歩き方です。強い意志と不屈の精神、超人的な奮闘に誰もが目を見張ると思います。自分をどんな人間だと意識していますか。

【山中】自分では、「永遠の偽善者」を目指している人間、といつも話します。いまでも「偽善者市長」として、本当に「偽善者」というプライドを貫く行動を取っているつもりです。

本当はすぐ欲望に流されてグータラしたがる。身近な人に優しくなれない。自分でそれがわかっていますから、理由をつけてカッコをつけていかないと「人間失格」になるタイプなんです。自分で偽善者と言い続け、綺麗事を言っていないと、もうどうしようもない人間だと思っているんです。

気ままに生きてしまい、どうしようもない人間になっていく、そんなタイプでありながら、なんとかいま世間の中で生かされているのは、少なくとも「偽善者」というベースがあって、それを守って生きているからです。辛いとか辛くないという価値観ではなく、「綺麗事」を言い続ける偽善者を貫けるならどれだけ嫌われても恐くない。自分が偽善者という「仮面」と「プライド」を失ってしまえば、生きていく価値もないと思っています。