逆オイルショックに学んだ産油諸国

「逆オイルショック」が起こった時、筆者はロンドンに勤務していた。早々にトレードを手仕舞いし、目の間で起こっていることにただただ驚愕していた。

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80年代の原油価格(ドバイ原油スポット価格)の推移

当時、北海原油の生産コストはバレル当たり10数ドルと言われていた。だから85年末に32ドルくらいであったブレント原油は、下がっても10数ドルの生産コストが底値だろうと見られていた。だが、下落の勢いはすさまじく、10ドルを割るところまで落ち込んだ。この事態になって、ブレント原油の生産コストはCapex (Capital Expenditure=投資コスト)を織り込むと10数ドルだが、Opex (Operational Expenditure=操業コスト)だけなら数ドルだ、だから生産業者はOpexを割り込むまでは生産を止めることはない、という解釈が喧伝された。確かに北海原油の生産は、10ドルを割り込む事態となって初めて減少し始めた。

この1986年の「逆オイルショック」は、1973年の第一次オイルショック以降、OPECがセブンシスターズからもぎ取った原油価格の決定権を「市場」に奪われるという効果をもたらした。これは重要な出来事だ。

価格決定権が「市場」に移ったのは、サウジが「ネットバック販売」を始めたからだ。
「ネットバック販売」とは、消費地の石油製品市場価格から逆算して、産油国積地での原油価格を決める、という方式だ。買主から見ると、いくらで買っても利益が確定できるので、購入量を増やしていった。その結果、販売量(=生産量)は増え、価格はさらに下落を続けた、という訳だ。

サウジ以外の産油国も「右にならえ」となったため、もはや市場が価格を決めることになってしまった。「覆水盆に返らず」、爾来、OPECが何をどうしようとも、価格決定権は市場に奪われてしまい、今日を迎えている。現在でもほとんどすべての長期販売契約は市場価格リンクのフォーミュラ条件で締結されている。

OPECは「逆オイルショック」の経験から、市場に逆らうことの無謀さを知っている。今回も無理をせず、むしろ、市場の力を使って高コスト原油を撤退させようとしているように見える。