北澤俊美防衛相と平野博文元官房長官が水面下で動いて、菅と鳩山の間で「確認事項」付きの密約が成立した。それを前提に、2日の代議士会で両者がスピーチを行い、不信任案を葬った。

だが、舞台裏の動きについては二説ある。一つは、造反組の足並みが揃わず、不信任案成立に必要な数が集まらなかったため、挫折した鳩山が菅に申し入れて密約作成で収拾を図ったという菅勝利説だ。反対に、不信任案成立が確実となったことを知った菅陣営で、首相の解散権行使を阻止するために「退陣承諾表明」という奇策で不信任案否決に持ち込んだという菅敗北説も有力である。

首相の進退判断には3つのレベルがある。第一は辞めざるをえないと本人が辞意を固めること、第二はそれをいつどんな形で明らかにするかという退陣表明、第三は実際の辞任の行動という最終場面だ。「退陣承諾表明」後の居座りは騙し討ちと映るが、菅が初めから謀計のシナリオを用意して実行したとは考えにくい。6月2日には第一と第二のレベルに達していたと見られる。急場をしのいだ後に次の手を模索するという得意の「一点突破」戦法で臨んだのだろう。

つまり第三のレベルはその後の展開次第でと考えた。延命を果たせば、次に衆議院の解散も視野に入れて、さらに一点突破を図る。若い頃から死中に活を求める生き方をしてきた菅は、この方法で窮地脱出を夢見たのではないか。

だが、菅政権誕生となった昨年6月の民主党代表選で対抗馬として出馬した樽床伸二(元国対委員長)は言う。

「どんな理由であれ、出処進退をある種、明言した以上、それに基づいてやっていかないと、と思う。それがふにゃふにゃになったら、全体が動かんでしょ」

飽くなき権力欲の菅は、この展開の下で最終的に国民が自分と菅降ろし派のどちらを支持するか、その勝負に賭ける気かもしれない。だが、退陣承諾と引き換えに不信任案否決を果たしたという事実は消えない。客観的に見れば、政権の命脈が尽きているのは疑いない。

※すべて雑誌掲載当時

自民党政調会長 石破 茂
1957年、鳥取県生まれ。79年、慶應義塾大学法学部卒。86年、衆議院議員。2007年、防衛大臣。08年、農林水産大臣。09年より、現職。

衆議院議員 樽床伸二
1959年、島根県生まれ。82年、大阪大学経済学部卒、松下政経塾入塾。93年、衆議院議員(日本新党)。2010年、民主党代表戦出馬。現在、衆議院国家基本政策委員長。

(原 貴彦、小原孝博、小倉和徳、岡本 凛=撮影)