6月2日の内閣不信任決議案否決から3週間余が過ぎた。だが、その間、日本の政治は過去に例のない異様な光景を映し出した。最後まで政権欲を失わずに粘り腰を見せた「辞めない総理」は何人かいたが、「退陣承諾表明」の後にどこまで延命できるかという実験に挑戦するのは菅直人首相が史上初だろう。

「一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでいただきたい」

不信任案の採決を控えて、2日、菅は民主党代議士会で自ら発言した。

すぐ後に鳩山由紀夫前首相が登壇し、「第二次補正予算編成にめどをつけ、その暁に自身の身をお捨て願いたいと言った。首相と鳩山で合意した」と述べた。小沢一郎元代表ら党内の反菅勢力は兵を退く。不信任案は大差で否決された。

ところが、菅はそれを見届けて、退陣時期の確約がないことを逃げ道に、延命策を弄し始める。政権を支えてきた党内の菅陣営からも早期退陣論が噴き出した。

菅降ろしの動きは権力闘争の色合いが濃いが、東日本大震災という未曾有の複合大災害の下で、誰が政権を担うべきかという「危機の指導者」のあり方をめぐる争いでもある。菅首相は「いまは非常事態。政争はノー」という国民の声を背景に、続けて政権担当を、と訴える。一方、野党や与党の反菅勢力は非常事態での無策、無力、無能が判明した菅首相は一刻も早く交代を、と叫び続けた。

野党三党は6月1日、その主張に沿って不信任案を提出した。だが、自民党の石破茂政調会長には逡巡があった。

「会期末は22日。まだ日があるこの時期はやめたほうがいいと思った。菅政権は当初、第二次補正予算も組まないで会期末に国会を閉じようとしており、こんな政権は許せないとして不信任案を出すほうが、理解が得られたのではないか。ただ時間を置くと、与党の造反組の決意が鈍るといった声もあり、総裁が決断された」

不信任案可否のカギを握っていたのは民主党内の造反組であった。菅首相の側と造反組の両陣営で票読みが始まった。