【田原】ぼくは自分では、さほど能力はないと思っているけれど、1つだけ、好奇心は強いんです。鈴木さんも好奇心は強いほうですか。

【鈴木】好奇心というより、目の前に何かあると、なしとげないと気がすまない。歩道に樹木が倒れていたら、みんなが通り過ぎていっても放っておけない。人間、どこまで挑戦し、どこまで妥協するかで、その人の人生観が決まるとすれば、私の場合、自分で自分に妥協ができない。損な性分だと思うときもありますが。

【田原】鈴木さんのおやりになることがこれだけうまくいくと、ほかの人は異議を唱えにくいのでは。

【鈴木】いや、反対されっぱなしですよ。ただ、反対論が過去の経験の範囲内で判断していたら、押し切ってでも進めます。私自身、自分にいい聞かせているのは、過去の経験抜きでものを考えろということです。

【田原】過去の経験則でものをいうな、成功体験をひけらかすなと。

【鈴木】過去の成功体験を引き合いに出すのは、昔の流行歌を今の時代に歌うようなものです。

【田原】体力面で体にいいことは何かしていますか。

【鈴木】土曜日はほかに予定がなければ、朝一番でゴルフへ。プレーを楽しむより、歩きにいく。

【田原】亡くなったダイエー(創業者)の中内功さんは毎朝、ルームランナーを使って歩いていた。なぜ家のまわりを歩かないのかと聞いたら、靴の裏がちびるというんです。いかにも中内さんらしかった。

【鈴木】私は、とにかく速く歩く。行きつけのゴルフ場のキャディさんから、「こんなに速く回るのは田中角栄さん以来だ」と驚かれました。

【田原】ご自身の後継者はまだお決めになっていない。

【鈴木】誰だとは特に決めていませんが、黙って見ていても、能力のある人間は出てきますよ。いずれ指名しますが、もう一つ、オムニチャネル自体がグループ各社が1つにまとまり、連携して力を合わせる仕組みになる。そのためにも、今はみんなで基礎固めをしているとこです。

鈴木 敏文
1932年、長野県生まれ。県立小県蚕業学校(現県立上田東高校)卒。52年中央大学法学部に入学。途中、経済学部に転部。卒業後、東京出版販売(現トーハン)に入社。63年イトーヨーカ堂に転職。71年イトーヨーカ堂取締役、73年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)専務。77年イトーヨーカ堂常務。78年セブン-イレブン・ジャパン社長。83年イトーヨーカ堂専務。85年イトーヨーカ堂副社長。92年イトーヨーカ堂社長、セブン-イレブン・ジャパン会長などを経て、2005年からセブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO。
田原総一朗
1934年滋賀県生まれ。県立彦根東高校卒。早稲田大学文学部を卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。幅広いメディアで評論活動を展開。
(勝見明=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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