この企業なら成長できると思った

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福山さんのキャリア年表

私がカルビーに入社したのはバブルの時代です。まだ女性の活躍は期待されていませんでした。大学は理系だったので研究職に就きたかったのですが、女性だったら大学院くらい出ていないとダメという時代です。カルビーに決めたのは人です。面接で、今年亡くなられた元会長の川瀬博之さんとお話し、「この人の下で働いたら楽しそう」「この人の下なら自分も成長できそう」と感じたのです。

カルビーには昔から男女平等という考え方はあったように思います。女性の課長は1人か2人しかいませんでしたが、研修などは新人のころは男女関係なく同じメニューを受けられました。女性だから損をしたと感じたことはほぼありません。もしかしたら私だけが鈍感だったのかもしれませんが(笑)。

マーケティングの部署に配属され、最初の上司となったのが長沼孝義です。現在は、東日本大震災の震災遺児の進学を支援する「みちのく未来基金」の代表理事です。長沼は「本を読みなさい」「カルビーではなく福山で仕事ができるように」と言う人で、ハードワークを強いられたことはありませんでした。長沼から任されたのが、マーケティングリサーチの確立です。当時は、新商品を出すとき調査はしていましたが、それを体系立てる仕事を任されました。最初は先輩とやっていたのですが、1年後からはひとりで作り上げていきました。