2014年11月22日(土)

なぜ、認知症の親の介護を終えた私は「生物学」にハマったか

介護ドキュメント 親を看取るということ【17】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
相沢 光一 あいざわ・こういち
ライター

1956年生まれ。月刊誌を主に取材・執筆を行ってきた。得意とするジャンルはスポーツ全般、人物インタビュー、ビジネス。著書にアメリカンフットボールのマネジメントをテーマとした『勝利者』などがある。

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フリーライター 相沢光一=文
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「体の温もりや臭いが消える」という喪失感

在宅介護では当然のことながら、要介護者と介護をする者とは身体的、精神的に接触することが密になります。好むと好まざるとにかかわらず濃厚な関係になるわけです。

世の中にはさまざまな家族関係がありケースバイケースだと思いますが、ウチのように父親と息子という場合はもともと日常の会話も少なく、ましてや身体的に接触することはないのが普通でしょう。

わが家では、たまたま父子ともに好きな野球観戦をテレビでしている時など、投手の配球の良し悪しに関して会話することがありましたが、互いの思いをぶつけ合うことはありませんでした。

それが父が寝たきりになった時から突然、身体的・精神的接触が密になったのです。介護をしている時は、父親の体に触れ体温や臭いを肌で感じますし、定期的に体の具合を聞くなど会話も多くなりました。

以前の稿でも触れましたが、父の認知症が進行し、訳の分からない行動をした時は、体と心の距離が近いこともあって、つい激昂してしまったこともありました。感情をぶつけ合う関係になったわけです。

私は母を13年前に亡くしています。男にとっての母親と父親を比べた場合、その関係性から死の衝撃や悲しみは数倍、母親の方が大きかった気がします。ただ母親は長く病院で療養をしたうえでの死であったこともあり、自分の手で介護をしたことがなかったせいか皮膚感覚として死を受け止めることはありませんでした。

それとは異なり父の死は、介護を通じて存在を体感していたこともあって、母の時とはまったく別の喪失感がありました。「あの体の温もりや臭いが消えてしまうのか」という感じです。亡くなって冷たくなってしまった体に触れた時は、その実感が伴い、かなり辛いものがありました。

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