店は客のためにある。「大黒柱に車を付けよ」

以前、小嶋さんから「うちは私が子供の時分から『奥』と『店』の区別がはっきりしていた。今でいう就業規則があったし、特に『公私の区別』は厳しかったな」と聞いたことがありますが、お二人が生い立ちや岡田家のことを話されることはまずありません。こういうところでも「奥」と「店」を区別されているのでしょう。

その岡田家の家訓は2つあります。1つは「大黒柱に車を付けよ」。普通、大黒柱はどっしりと動かずに家屋を支えるものですが、岡田家の場合はむしろその逆で、大黒柱の下に車を付けて、常に客に合わせて立地を変えていかなきゃいけない、という意味です。

五世惣右衛門が、1887(明治20)年に祖先以来住み慣れた町から店舗を移し、それ以来、周りの商圏の変化に応じて何度も店を移動させたことから生まれたそうです。「店は客のためにある」という大原則を形にしたものですが、要はイノベーター、革新者。2人とも他人の真似をするのがイヤ。世界や社会の変化に対して、どう適応するかを考えるよりも、積極的に先駆的な役割を果たそうという気持ちが非常に強い。今の元也さんにもそういうところがありますね。

それと直接関係あるか否かはわかりませんが、お二人がやはり姉弟だなあと思う点に、ともに大変思慮深いところがあります。静かな時間を持つとか、瞑想するとかいうこととはちょっと違うんですが、ともに会話の最中に沈黙があるんです。もともとおしゃべりではないんですが、たとえば会話している最中に、ちょっとした時間なんですけど。ふっと遠くを見ながら考えているんですよ。話し相手からすると、それが非常に長い時間に感じるときがある。ある意味で恐ろしい。初めて会う人なんかは「何考えてるんやろ?」と、ドキドキするようです。

特に小嶋さんは、普段電車に乗るときも、何かしているときも、ちょっと新聞を読むときもずーっと考えておられます。で、あるとき突然、「東海君、あれな、こうせい」と言ってくる。「どの件?」「あれに決まっとるやろ」「あれって……わからへんのやけど」という具合に見当がつかないことが多いんですが(苦笑)、経営で創造的なことを行うには、こうした「考える時間」が必要不可欠なのかもしれません。

2つ目の家訓は、「下げにもうけよ、上げでもうけるな」。小売業者は安い品を入手してお客に提供するのが商いの道であり、値段をわざと据え置いたり、値上がりしそうなときに品を出し惜しみしたりするのは商いの道に反する、という意味です。

第一次大戦後の1920(大正9)年、投機熱が一気に冷え込んで生糸や綿糸の価格が暴落した際に、すでに身を引いていた五世惣右衛門が手元にあった商品の見切り売りを決断。その売上金でさらに値下がりした商品を仕入れ、再度売ることを繰り返した。これで、商品の評価損を補って余りある収益を挙げたのが由来です。それをもとに株式会社に改組、岡田屋呉服店と屋号も変えたのですが、「岡田屋は安い商品がたくさんある」という印象も広まったということです。