選挙参謀として、自民党の区割りや候補者調整にも知恵を貸した。

当時は中選挙区制だから“死に票”が多かった。一つの選挙区に自民党から2人が立候補して、自民党の候補一人と社会党の候補が当選したとすると、3位で惜敗したもう一人の自民党の候補者の得票はまったくの無駄になる。

そこで選挙区を調整して、2人以上の当選が確実な選挙区以外は候補を一本化し、泣こうが喚こうが一人しか公認しないことを徹底した。

また一つの選挙区で一人候補者が票を取りすぎるのももう一人の自民党の候補者に回らないから無駄になる。だから仲が悪い候補者同士でも、同じ選挙区で死に票が出ないように選挙協力させた。

私に言わせれば、これは戦略というより「戦術」である。選挙区ごとに綿密なマーケティング分析をして、自民党が稼いだ得票が最大の議席数につながるように区割り調整をしたのだ。結果、投票率は70%をオーバーして、86年の総選挙は304議席を獲得した自民党の圧勝劇で幕を閉じた。この辺の詳細は拙著『大前研一の新・国富論』で詳述したので覚えている人も多いのではないだろうか。

中曽根さんとは思想的には必ずしも一致したものではなかったが、日本のステータスを上げることにあれだけ情熱を傾けた政治家を後にも先にも知らない。打てば響くような理解力も素晴らしかった。首相経験者から若手まで、政治家とも随分と会ってきたが、「大前さんの話はちょっと難しい。一言で言うと何ですか?」というメモリー制限のある人が少なくない。あるいはメモリーはそれなりでも、脚本+振り付けまでしてあげないと、行動に移れなかったり、道筋を簡単に踏み外したり。

しかし懲りるわけにはいかない。「この国はまだまだよくなる」と思って私はいろいろなアイデアを考え、提案している。それをやってくれそうな政治家なら労を厭わずに協力するつもりだ。