創業事業からの撤退

山名昌衛(やまな・しょうえい)●コニカミノルタ社長。1954年、兵庫県生まれ。77年早稲田大学商学部卒業後、ミノルタカメラ(当時)入社。96年経営企画部長を経て2002年執行役員となる。コニカとの経営統合後は常務執行役、コニカミノルタビジネステクノロジーズ社長などを経て、14年4月より現職。  コニカミノルタ>> http://www.konicaminolta.jp/

統合後のコニカミノルタは翌2004年に「統合中期経営計画」を策定。「事業ポートフォリオ経営の実践」を標榜し、トップポジションを狙えるジャンルに経営資源を集中させる「ジャンルトップ戦略」を作り上げた。これによって、カラー複合機等の情報機器事業を自社の屋台骨を支える中核事業に、光学デバイス関連のオプト事業を将来の成長が期待される戦略事業に、医療機器や計測機器事業を安定収益事業に位置付け、経営資源の機動的に配分する方針を打ち出した。収益性が悪化していた写真関連事業は、構造転換事業に位置付けられ、抜本的見直しが必要とされた。

コニカミノルタにとって写真関連事業は、統合前の両社の創業事業であり、「コニカカラー」や「αシリーズ」といった会社の顔ともいうべき商品群を抱える看板事業だった。統合した年の売上は約2800億円と全体の1/4を占めていたが、利益はマイナスだった。デジタル化、フィルムレス化が急速に進む中で銀塩フィルム市場は縮小、デジタルカメラは価格競争が激化し、構造的に儲からない事業になっていった。カメラ事業では、高画質と高付加価値分野へ商品を絞り込み、利益優先の施策への転換を進め、2004年秋にレンズ交換式デジタル一眼レフカメラ「コニカミノルタα-7 Digital」を発売するも、巻き返すまでには至らず、写真関連事業の赤字は続いた。2005年秋に事業縮小、生産・販売拠点の統廃合、全社の1割強にあたる3000人超の人員削減を進める方針を固めた。

さらに2006年1月、カメラ事業、フォト事業の終了と合わせて、デジタル一眼レフカメラ関連の一部資産は、以前から提携関係にあったソニーに譲渡することを発表した。あわせてカメラや光学レンズの設計・開発、営業、マーケティングなどに携わる総勢200人もコニカミノルタからソニーへと移籍することになった。創業事業からの撤退という苦渋の決断を下す過程においては、経営陣による議論を重ね「早く決めないと手遅れになる」との認識を共有し、社内の未練を断ち切ったとされている。会社の代名詞、ブランドのシンボルともいうべき商品を失うことによる“アイデンティティの喪失”ともいうべき精神的ダメージの大きさは想像に難くない。