田沼広之(19年ラグビーW杯アンバサダー)

たぬま・ひろゆき●1973年生まれ、神奈川県出身。湘南学園高校から日本体育大学に進学し、卒業後はリコーブラックラムズで活躍。99年、2003年のラグビーワールドカップにも出場した。日本代表のキャップ(国代表戦)は「42」。ポジションはロックだった。10年に現役引退後は、リコーのフォワードコーチなどを務めた。2013年よりアンバサダーに就任。

もう絶対に憎めない。まっすぐな“ラグビー愛”と、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会のPR役となるアンバサダーの使命感。ニコッと笑うと、子どもたちが自然と集まってくるのである。

「ほ~ら。楽しめぇ~」

10月のとある日曜日。トップリーグの試合前の秩父宮ラグビー場では、青空の下、子どもたちの笑顔がはじけた。いや、子どもたちだけではない。タグラグビーを指導している田沼広之も顔をくしゃくしゃにしている。

「やっぱり、楽しいと思うことはものすごく大事です。同じことをするにしても、楽しんでやったり、好きと思ってやったりしたほうが、時間が経つのも早いし、身になることも多いでしょ。僕はラグビーを教えにきているのではなく、ラグビーを子どもたちと一緒に楽しむためにやっているのです」

愛称が「タヌー」。神奈川県出身。193cm。日体大からリコーに進み、FWのロックとして活躍した。何事にも一生懸命。日本代表のキャップ(国代表戦出場数)は「42」を数え、W杯にも1999年大会、2003年大会と2度、出場した。10年、現役引退。

タヌーのエピソードは枚挙にいとまがない。現役時代、チームメイトと某駅前で待ち合わせしたとき、携帯に電話してもタヌーがなかなか出てこない。呼び出し音は鳴っている。タヌーの車が停まっていたので中をのぞくと、運転席で「おかしいな」と言わんばかりに電話と格闘していた。よくよく見ると、自宅の部屋のコードレス電話だったそうだ。

現在は19年ラグビーW杯日本大会アンバサダーのほか、リコーでは企業スポーツ推進センターに所属し、ラグビー部の広報&普及を担当している。子ども向けのラグビー教室を開いたり、普及のためのイベントを企画したり。

「ぼくはとにかく、ひとりでも多くの人にラグビーを知ってもらって、ラグビーを楽しんでもらいたいんです。一番はやい普及って、話したりすることではなく、楕円球をさわってもらうことだと思います」

実は右耳がつぶれている。ラグビー選手特有の「ギョウザ耳」。子どもにこう、聞かれる。「どうしたの?」と。マジメに答える。

「おにいちゃん、タックルの練習をしていて、こうなったんだよ」

19年ラグビーW杯日本大会の知名度はなかなか、上がらない。田沼たちアンバサダーがワークショップをやったり、ラグビー体験教室を開催したりしながら、地道な活動で盛り上げにひと役買っている。

「どれくらい準備が進んでいるのか、焦りが少しはありました。でも、1年前と比べると、19年に(ラグビーW杯を)やるというのは随分知られてきたんだナと思います」

41歳。「楽しむ」が座右の銘というタヌーは、ラグビーと共に生きる。気配りと見返りと求めない愛。W杯日本大会アンバサダーは天職かもしれない。

「盛り上げには、体験が一番。楕円球にさわってもらって、ラグビーの楽しさを知ってもらって、ワールドカップを楽しんでよ」

スタジアムの外でのインタビューが終わる。いつのまにか、やわらかいタヌーの笑顔に魅かれ、子どもたちがまた、寄ってきたのだった。理屈ではない、楽しそうだから。

(松瀬 学=撮影)
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