学歴によって「書く力」の差を感じる

慶應大学を中退したものの、「学んだことは、私の意識に根付いている」と設楽さんは話す。

「英文学の池田清先生(故人)や国文学の池田彌三郎先生(故人)などが、講義で話されていた内容や様子は今も覚えています。常識とは何か、常識人とはどうあるべきか、などと力説されていました。池田先生のコモンセンス! という声は、こびりついていますよ。

私のような理想主義やロマン主義に傾倒していた者は、ついていけないものがありました。浮いた存在だったのでしょうかね(笑)。近代経済学の加藤寛先生(故人)は、好きではなかったな……(苦笑)」

設楽さんは、学歴を否定することをしない。50年以上にわたり、労働組合の相談員として多くのサラリーマン労働者から相談を受けてきた。そのような労働者には、会社に送る抗議文を始め、様々な書類を書くことをさせる。それらを読むと、学歴により、書く力に差を感じることがあるという。

「人間はどこに行っても、学ばないといけない。ユニオンに来ても、学びですよ。私も70歳を超えても、相談者から学ばせてもらっていますから。高学歴であろうとも、学ぶことをしないならば、意味がないですね。学歴にこだわってはいけないのですが、学歴はその人の人間性を生々しく醸し出していることを忘れないことだと思います。学歴にしがみつくことなく、学歴を感じさせる教養を身に付けることですよ」

設楽さんは、学歴の意味について知人から教えられたことがあるという。知人は、大手自動車メーカーで人事部長などを歴任した。

「元部長によると、高卒と大卒の新卒にいくつもの仕事を研修の一環としてさせると、高卒は1つの仕事には抜きん出た社員がいるが、大卒は与えられた仕事を万遍なくこなす人が多いようです。これは教養の差だ、と話していました。

特に東大卒の社員は、多くの仕事を並行して次々と早いスピードで処理していく力に長けているそうですね。その精度も高い。その意味での順応性が抜群! と元部長から聞きました。

これは、私の長年の観察でつかんだものと同じ見方であり、そこが東大卒はいやらしい(苦笑)。慶應は早稲田や明治、中央などの卒業者に比べると常識人が多く、会社の中では上手くやっていくタイプが多いのかもしれませんね(笑)。私は、慶應大学の塾生として学ぶことができて本当によかったと思っていますよ」

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