日本経済は消費税増税の逆風を乗り切り、株価は再び上昇局面に入ったようだ。2020年の東京オリンピックを控え、各社、攻めの経営が目立つ。少子高齢社会のなかで、企業はどこへ向かうのか。新たに経営トップの座についた人物を解剖し、未来への展望を開く。

子会社社長で実績を挙げた薬学博士

メーカーとして出発し、住宅事業でも大手の一角を占める旭化成。一時は多角化経営の手本とまでいわれたが、バブル崩壊後は事業分野の選択と集中に着手。今後の事業の柱と期待されるヘルスケア部門から抜擢されたのが浅野氏だ。新体制の発足とともに伊藤一郎会長は代表権を返上し、社長への権限集中を明確化。重責を担う「ワントップ」リーダーの決意を聞いた。

旭化成代表取締役社長 
浅野敏雄氏
――思い出に残る仕事は?

【浅野】20代後半、新薬開発のプロジェクトのメンバーに参画し、薬効データを管理するリーダーを務めた。当時の私は仕事を甘く見ていた。ある機関に依頼して生物実験を実施したところ、予想通りの結果が届いた。それを根拠にプロジェクトがスタートしたが、その後、肝心の根拠データを再現できなかった。生物実験だけに再現性にはもっと注意を払わなければいけないのに、独断と思い込みで仕事を進めてしまった私のミスだ。

結果、プロジェクトは中止になり、新薬の製品化は見送られた。大変な失敗といってよく、責任を問われてもおかしくなかった。しかし、上司など周囲からは一切責められなかった。言葉にはしないが「失敗してもひるむな」という励ましを感じた。以後、それまで以上に責任ある仕事をやらせてもらった。

このときの経験から、実験科学や事実だけでは物事は前に進まないということを学んだ。

――失敗を糧に成長できた。

【浅野】そう思う。井上靖の『孔子』を読んで啓発され、「仁」を座右の銘とするようになったのもそのころだ。「仁」とは「人が二人」と書く。つまり人間は一人では何もできない。技術革新など事を成すには、「仁の心」で仲間と協力してやるべきだと考えるようになった。

医薬品の研究開発では成功より失敗のほうが多いが、思い出深いのは20年以上かけて研究開発した血管拡張剤「エリル」を世に出せたことだ。たくさんの患者の治療に貢献できたことを実感できた。これは私にとって何物にも代えがたい経験だ。