官兵衛は社外取締役である
【松平】天下とりを成功というならば、彼は成功はしなかったけれども、人生をトータルで見たら成功者だったといえるのかもしれません。
【數土】私もそう思います。
【冨山】いまふうにいったら、自分の思い描いたとおりのクールな人生を、59年間まっとうしたというような印象を、私は彼に持っています。
では、もし彼が天下をとったら成功したでしょうか。官兵衛のそれまでのマネジメントは、どちらかというと上司が苛烈で韓非子的な役回りを引き受けてくれていて、そこをいろいろな形でフォローしながら人心掌握をしていくというスタイルでした。しかし、自分が最高権力者になってしまうと、自分自身で冷酷非道なこともやらなければいけなくなります。それをどこまでこなしきれるかという点にややクエスチョンマークを感じます。
【松平】私も彼は優秀な軍師ではあったが、優秀なトップになれたかといったら、どうだったのかなと。やはり違うような気がします。家康のように組織を固めてというところまではいかなかった。ま、時間がなかったこともあるのですが。だから、そのシステムが完成しないうちに、家康に勝ってトップになったとしても、人がついてきたかどうかと思います。
【數土】現代でいえば、官兵衛は社外取締役です。社外取締役も、昔はオーナー会社の社長や会長の賛成者といった大政翼賛会でした。いまは社外取締役は監視役として、社長や会長に直接意見を言うことを求められています。しかも、厳しいことを言ってもなお人間的にうまくやれる人格や教養もなければなりません。
【冨山】トップに意見を言うにしても、常に責任があるのですから、言いっ放しですむコンサルタントではなく、やはり官兵衛は社外取締役だと私も思います。そう考えると16世紀よりも21世紀の日本のほうが、この人が機能している可能性は大きいのではないでしょうか。
【松平】トップひとりが組織の生殺与奪の権利を握っているわけではありませんからね。
【冨山】そういう時代ではないですから。
【數土】ある会社でこういう重要な部長のポジションが空いたら公募になります。大学の教授もそう。そして、今後はもっとそれが加速されていくでしょう。だからこそ黒田官兵衛の生き方や彼が成しえてきたことを、時代背景と一緒にもう一度学び直すことには、大いに意味があるといえます。
【冨山】仕えてもらうほうも大変ですよ。なにしろ対等なので、条件が悪ければすぐに逃げられてしまいますから。
企業再生請負人 冨山和彦●経営共創基盤(IGPI)CEO。1960年生まれ。85年東京大学法学部卒。92年スタンフォード大学経営学修士(MBA)。ボストンコンサルティンググループを経て、2003年産業再生機構設立時にCOOに就任。07年4月にIGPIを設立、現在に至る。著書に『経営分析のリアル・ノウハウ』など。
京都造形芸術大学教授 松平定知●1944年生まれ。早稲田大学卒。69年にNHK入局。高知放送局を経て、東京アナウンス室勤。務理事待遇。2007年退局。『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』など。