2014年10月3日(金)

小津安二郎が振る舞った、カレーすき焼きがある。

どうしてこんな食べ方を? 不思議カレーの噂[1]

dancyu 2012年8月号

文・吉村喜彦 撮影・井原淳一

「茅ヶ崎館」のカレーすき焼き

品のよい脂の甘味が特徴の葉山牛がたっぷり2枚。まず1枚目を焼き、割り下をからめて食べた後、残る肉とザクを。カレー粉はザクにふるといい。

えっ? すき焼きに、カレー?

と、まず普通は思う。

でも、考え出したのが小津安二郎となれば、ちょっと話は違ってくる。世界のオヅはとっても食いしん坊だった。牛肉が大好物。青少年期の10年、松阪で暮らしていた。

その小津が、スタッフや俳優に自ら振る舞ったのが“カレーすき焼き”――カレー粉をふりかけたすき焼きだったのだ。

田中絹代は「こんなに美味しいものはない」と言ったというし、スタッフも「一種独特のなんともいえないうまさだった」と書いている。でも、ほんとかな? 「なんともいえない」と書くあたり、どうも怪しい。

『早春』に出演した池部良は「誰がカレー粉を入れた」と怒ったそうだ。

やっぱり……。

そのせいか、池部良はそれ以降、小津映画には出演していない。そして、小津もカレーすき焼きを二度とつくらなくなったという。

神話に包まれた「それ」が実際に食べられるという。小津が脚本を書くときに長逗留した「茅ヶ崎館」のメニューにあるのだ。

早速訪ねると、出てきたのは、葉山牛を主役に配した実にシンプルなすき焼き。で、カレー粉は?

カレー風味の煮汁を含んだ豆腐や長ねぎをご飯にのせて食べる。どこか禁断の味わいだ。山椒が効いたカレー粉は、和風の趣で白米との相性もまた素晴らしい。

五代目当主の森浩章さんは「牛肉を食べたあと、ほんのり肉の香りのついた豆腐、しらたきなどにふりかけるのがお薦めです」と言う。

甘く柔らかい葉山牛を堪能し、いよいよ、カレー粉の登場。

豆腐を溶き卵につけ、恐る恐る。と、これが想像以上に美味しいのだ。卵との相性がいい。ご飯にのせるとなお美味しい。単なるカレー粉ではない。山椒が混ざっている。小津はカレー粉だけだったが、森さんは「鰻に山椒」からヒントを得てアレンジ。この山椒が名脇役を演じている。

「松阪時代に父親と離れて暮らした小津さんは、時折父親と食べるカレーが好きだった」と森さんが教えてくれた。多感な年頃、松阪での寮生活になじめなかった。そんなとき、父と食べるカレーは東京への思いを駆り立てたのだろう。すき焼き=松阪とカレー=東京との邂逅。それが、無意識にあったのかもしれない。

そして、こうも考えられる。小津映画に漂うユーモアが、じつはカレー粉かもしれない。主役の牛肉が原節子とすれば、豆腐は笠智衆。そして、カレー粉は杉村春子だろうか。

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吉村 喜彦