2人が抱いた同じ未来予想図

官兵衛は信長に気に入られるために何をしたのか?

「信長に気に入られるのは簡単です。信長が望む働きを確実に実行すればいい。『おい、官兵衛、あれはどうなっている』と問われれば、即座に現状を答え、今後の見通しを述べ、解決する。何をやらせてもこなすし、仕事もできる。しかも、官兵衛は無欲で愛嬌があったから、教養や頭のよさが嫌みにならない。あいつはすごい。信長は官兵衛のことをすごく気に入っていたと思います」

では、逆に官兵衛は信長というリーダーにどんな感情を抱いていたのか。

「官兵衛も信長が大好きだったと思います。2人は気質がとても似ている。行動はかなり違いますが、頭の回転は速いし、なんといっても将来のビジョン、日本をどうするべきかという方向性が、ほぼ一緒だった。だから、官兵衛には信長が次にやりたいことが手に取るようにわかる。先を見越して手を打つことができるので、秀吉にも的確なアドバイスができたのです」

官兵衛と信長の共通点。それは互いに持つ商人的な柔軟な感覚だと安部さんは言う。

黒田家の財政基盤となった広峯神社。黒田家は官兵衛の祖父・重隆の代に備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を蓄え、黒田家発展の基礎を築いた。

「官兵衛の育った姫路は、瀬戸内という海路と山陽道という陸路が並行して走る土地ですから、常に人とモノと金と情報が行き交っていました。しかも目薬販売という商業的な成功で成り上がってきた家柄です。

信長もいわゆる農業大名ではなく、木曽川の下流の津島という港町を押さえて、のし上がってきた人です。2人とも経済感覚を磨き、流通を押さえることで力をつけてきた。

農業大名は実直ですが、保守的で排他的で頑固なのに対し、商業を基盤とする大名は情報収集のために、不特定多数の人と接しなくてはいけないし、金勘定など、頭の回転もよくなければ勝ち残れません。商業系と農業系では発想が根本的に違う。信長になら日本を統一して、ヨーロッパに対抗できる自由な国づくりをするという夢を懸けられたと思うのです」

すると、秀吉に対して官兵衛はどんな見方をしていたのか?

「飛び抜けて性能のよいスポーツカーのように思っていたのではないでしょうか。もちろん、秀吉の才能や力は認めていたでしょう。でも、秀吉という類いまれな高性能のスーパーカーを自分が運転している感覚。うまく操縦すると、とてつもないスピードを出すし、時速300キロでコーナーを思い通りに回れるぞ、みたいな関係。手柄は秀吉のものでかまわないのです。自分の立てた戦略・戦術が成功することこそが喜びだった。

本能寺の変で信長が死ぬまで、官兵衛の目線の先には、ずっと信長がいた。つまり、信長の理想の前に立ちはだかる課題を、秀吉を使って、ひとつひとつパズルのように解いていく。そういう意識が強かったのだと思うのです。きっと信長もそれを感じていたでしょう」