新テクノロジーは分極化の源泉

政治学者の丸山眞男はかつて『日本の思想』(岩波新書、1961)で、欧米文化とは異なる日本文化の性格を「タコツボ型」と呼び、文化、学問、組織などが相互に関係せず孤立して併存していると述べたけれど、インターネットというグローバルなツールは、欧米文化、日本文化の区別なく、新たな「タコツボ化」を促しているとも言えるだろう。

キャス・サンスティーンとイーライ・パリサーの本

こういった問題を早い時期に指摘したのがアメリカの政治学者、キャス・サンスティーンで、2001年の『インターネットは民主主義の敵か』(毎日新聞社)という本で、個人がインターネットの海を自由に泳いでいると見えて、それが結局は情報の一定方向への集中を促していると警告した。どうしても自分好みの情報を集め、反対意見を見なくなり、だから、一定の考えを補強する方向に働きがちだという指摘である。彼は「インターネットを含む新テクノロジーは、同じ考え方の孤立した人たちの意見を拾いやすくするが、競合する意見には耳を貸さなくてもすむ文化を生む。だから新テクノロジーは、分極化の温床といえるだけでなく、民主主義と社会秩序にとって潜在的に危険なものになる」と述べた。

その10年後の2011年、インターネット活動家のイーライ・パリサーは『閉じこもるインターネット』(早川書房)で、それらのフィルタリング(パーソナライゼーション)がコンピュータのアーキテクチャーによって自動的に行われる点を問題とした。

アップルのタブロイド版端末アイパッドおよびアイフォン用に開発されたアプリ雑誌「ザイト(Zite)」にその典型を見ることができる。あなたの検索エンジンの利用履歴とか、フェイスブックのメッセージ内容とか、グーグルリーダーでの閲覧記録などをコンピュータ・システムが把握して、そこからあなたの好みを割り出し、それにふさわしい記事を提供してくれる。逆に考えると、あなたはコンピュータによって自分の好みを決められ、それにマッチする記事だけしか“見えなく”なっている。