10年働けば品質管理能力が身につく

もう一つ事例をあげよう。今年の8月、放送大学の「グローバル化と日本のものづくり」という科目の放送用録画の取材でタイの工業団地を訪れ、大阪に本社(従業員700人)のある「熱処理」のメーカーで聞き取りをした。現地の社員は1000人だが、1995年に設立した時は30人のスタートだったとのこと。立ち上げ直後にいわゆる「アジア通貨危機」(1997年)に遭遇し、仕事がなくてさんざんな目にあったそうだが、2000年ころからの回復で、いまや順風満帆だ。マレーシア、中国、メキシコにも工場展開をしている。

「熱処理」というのは、ものをつくるときの「中間工程」だが、金属加工されるほとんどの部品が「熱処理」される。金属は熱処理されることによって、3倍、4倍と強度を増す。「焼きを入れる」という言葉があるが、熱処理がなければ、自動車の重さは2倍、3倍となってしまう。また熱処理することによって素材の表面の組成を変化させ、そのことによって加工方法を変化させたりもする。

そのような、目立たない中間工程を担うこの会社の場合は、勤続5年を過ぎた従業員を、積極的に日本の本社工場に1年間の研修に派遣する。日本での工程を覚え、日本語を覚える。大卒の技術者よりも、主に高卒の技能者を派遣することが多いが、派遣される半分以上が女性であり、彼女・彼らの定着率は驚異的に高い(離職率約1%)。競争率は5倍とのことだが、皆、日本に派遣されるために熱心に仕事する。技能や日本語能力の向上は当然、処遇にも反映される。

そのような彼女たちは5年10年と現地で働くうちに、品質管理能力を身につける。昨年のことだが、「1000個のうち100個ほど焼き上がりの色が変だ。どこかに問題がある」と現場から声が上がった。同じ工程なので「問題は素材にあるのでは」ということで、発注先に連絡したところ、発注先がやってきて、厳密に調べたらその100個に不純物が混入していたという。もしそのまま納入していたら重大事故につながったとのこと。もちろん発注先に感謝された。

つまり長期勤続とモチベーションにより、技能は向上するのである。こういうことを書くのは10年前、15年前に調査している時は、どの工場も定着率が悪く、1年で7割、8割と辞めるのも珍しくなかったからだ。しかしその頃はまだ中卒が中心で、かけ算もできないのが普通だった。高学歴化(高卒と大卒の増加)と賃金の上昇(定期昇給と大幅賃上げ)は、勤労者の「質」を変える。そういえば前述の金型屋さんも、日本への研修派遣が大事だと強調していた。

このようにして発展すると、あと10年15年後には、現地人によって設計や生産設備の新しい取り組みが担えるようになるかもしれない。とはいえそれには相変わらず、日本人の技術指導・技術協力が必要だ。またその頃には、ミャンマーとかラオスやカンボジアが今のマレーシアやタイの水準に達しているかもしれない。もちろんその技術指導にタイ人やマレー人も訪れるだろう。

このように東アジアとともに歩む日本の方向は、とても素晴らしいと筆者は思っている。何年かおきに定点観測工場を訪ねるが、現地従業員の成長を見ていると楽しい。例えば、ベトナムの家庭用浄水器の組立工場で「良品と不良品の見分け方」「しごとの段取りをたてること」「部材の計算」「発注数量の確認」「工程品質異常の報告書の作成」「治具や工具の開発」「棚卸しの点検」といったことを、現地人が日本語の勉強とあわせて、5年6年と働きながら覚えているのを見ていると、社会秩序の安定と産業の離陸の大切さをかみしめる。もちろん日本からの駐在員の苦労はすさまじいのだが、どのみち日本にいても大変なことはたくさんあるのだ。

中沢孝夫(なかざわ・たかお)福山大学経済学部教授。1944年、群馬県生まれ。高校卒業後は郵便局に勤務。全国逓信労働組合本部勤務を経て立教大学法学部に入学し、93年に卒業。姫路工業大学(現兵庫県立大学)環境人間学部教授、福井県立大学経済学部教授などを経て、2014年より現職。中小企業経営論、ものづくり論、地域経済論などを専門とする。社団法人経営研究所シニアフェローを兼務。主な著書に『中小企業新時代』『グローバル化と中小企業』『中小企業は進化する』『中小企業の底力』など多数。