改名のエクスタシー

戸籍から改名するには、法的に定義された正当な事由が必要です。その正当な事由をもとに家庭裁判所の許可を得て、役場の窓口に届け出ます。僕の場合は、一定期間、仕事などでその名前が通称として使われ広く認知されていたという実績が必要になります。一定期間というのは、過去の判例からすると、最短で5年程度。その間、「雄純」として生活し、仕事し、その証拠となる郵便物や資料などを保存しておかなければなりません。そうこうして約5年後、家庭裁判所での審理を経て、ようやく戸籍上から「雄純」に改名することが認められました。

裁判所からの審判書類

裁判所では、「あなた長男でしょ? 親はなんて言ってるの? 一度変えたら簡単には戻せないよ」などと何度も確認・念押しされました。でも、僕には微塵も迷いなどなかったので、最終的に区役所に改名届けを出して受理されたときには、僕の人生にとって「あるべき何か」を手に入れたような至高の満足感、まさにエクスタシーと呼べるようなものを感じました。

はっきり言って、名前を変えたからと言って何か経済的な効果が生まれるわけでもなく、社会的な評価が変わったりするわけでもありません。他人からすれば限りなく「どうでもいい」ことであり、そして僕にとってはこの上なく重要な、究極の自己満足体験です。他の何事とも比較できず、また、比較するに意味もない。

ただ、両親にとってはそれなりに大きな問題だったと思います。僕の葛藤を側で見ていただけに理解は示してくれていますが、複雑な気持ちではあったと思います。改名届けを出した後、身分証の更新などのために、母に頼んで本籍のある故郷の役場で新しい戸籍謄本を取得してもらいました。息子の名前が変更されているのを見て、母は何を想ったのか……。親不孝だと言う人もいるかもしれません。それでも僕は、この愚かなほどの主体的行為を悔いることは一生ありません。生きる限り、自分自身を辞めることは絶対にできないのです。