問われる個人、組織のモラル

それを聞いたとき、なるほどこれが編集者の仕事かと感心した。ところで、デジタル写真を編集して、そこにCGで明かりを灯したらどうだろうか。これはやはり捏造、少なくとも改竄である。出来上がった写真の効果から言えば同じだが、両者にはやはり決定的な違いがある。しかし、その差は微妙でもある。

モノクロ写真の場合、現像するときに覆い焼きと言って、感光紙に当たる光を調整して、より効果的な写真に仕上げるのは、プロの腕でもあった。シャッター時間、露出などの選択は、より効果を上げるための工夫である。写真はかならずしも真を写すものではない。これとデジタル画像の切り張りはどこが違うのかという話である。

認識論に入り込むと、そもそも客観的事実とは何かというややこしい問題になる。目や耳などの感覚器官そのものが環境を恣意的に切り取ったものと言える。

切り張りの是非は研究者一人ひとりのモラルに還元される面もあるかもしれない。しかし、ここで考えたいのが、デジタル技術のあまりの高度さである。これに対抗するための我々の姿勢が問われている。事実を報道する(あるいは提示する)電子画像に手を加えることは、きっぱりと控えるべきではないだろうか。ということで、サイバーリテラシー・プリンシプル(8)は「電子画像は切り張りしない」である。

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