在庫8割減を実現した生産管理システム

JKBのシステムを最初に構築したのは、圭一郎の父で会長の平井和夫(68歳)である。

米スタンフォード大学大学院でCADを学んだ和夫は、プログラミングやシステム設計も経験し、1971年に帰国してJKBで生産機械の自動化などに取り組んだ。

和夫の父が51年に創業した同社は当時、城南計器部品という社名だった。外部から様々な部品を調達し、計器部品の組み立てを行っていたが、担当者が数人がかりで何日もかけて複雑な発注作業を行っていた。それでも、調達部品の不足や余剰が発生し、その在庫管理に苦労していた。

山形県寒河江市中央工業団地にある山形工場。

その状況を見かねた和夫は、生産管理システムを自力で作ろうと思い立った。まだ、コンピュータは高嶺の花で、日本の大手企業でさえ単純な在庫管理システムを導入しようとしていた時期だった。

和夫は父を口説き、当時1台2000万円もするオフコンを購入、システムの構築を始めた。完成したシステムは、アメリカで普及が始まろうとしていたMRP(資材所要量計画)と呼ばれる生産・在庫管理システムと同様の機能を持つものであった。

和夫の先見性は、現場が使いやすいインターフェイスを目指したことである。つまり、数字の羅列でアウトプットするのではなく、表や図形などを使って一目でわかるように表示するよう設計した。例えば、生産や納期の遅れは製品名の横に遅れの日数分を★印の数で表し、生産スケジュールは紙のカレンダー形式で出力した。

システムの基本設計は和夫自身が行い、ソフトハウスにプログラミングを発注したが、プログラマーはすぐに「できない」を連発した。おそらく、能力も未熟だったのだろうが、和夫は自分でフローチャートを1つ1つ書いては指示通りにプログラミングさせ、修正を繰り返した。会社に泊まり込みながら、半年かかったという。

こうして、71年に生産管理システムが完成。受注すると納期からさかのぼって部材の調達量と調達日を設定し、自社および外注先の生産能力まで加味して生産工程を管理する画期的な仕組みだった。おかげで、部品の発注計算はわずか1~2時間ですみ、正確で、生産遅れがなくなった。在庫はなんと7~8割も減り、顧客からの信頼が増しただけでなく、収益力が上がり、その余力を新たな設備や技術投資に回すことで現在のJKBの土台ができあがった。