CSR・社会貢献活動は、企業にとって今や本業を支える最も大切な産業基盤のひとつになっている。 トヨタ自動車も数多くの社会貢献に取り組んでいるが、なかでも「トヨタ白川郷自然学校」の開設・運営からは、トヨタが一般社会と向き合う創業以来の姿勢の一端を窺い知ることができる。

トヨタがつくった「白川郷自然学校」

白川郷自然学校の正面。

トヨタ自動車は2005年4月、岐阜県大野郡白川村馬狩(まがり)に「トヨタ白川郷自然学校」(以下自然学校)をオープンさせた。学校とうたってはいるものの、形態は誰もが泊まれる天然温泉付きの高級リゾートホテルである。

その一方で、これまでに類を見ない環境教育プログラムの実施と併せ、環境保全のための実践的なプロジェクトを進めるという別の顔も持っている。自然学校の名が付いた温泉旅館。風変わりなこうした施設を、なぜトヨタはつくったのか。そのプロセスは、企業による社会貢献活動(以下、社会貢献)の実践的モデルプランを提示したものと言っていいものだった。

白川郷の中でも合掌造りが集中しているのが、白川村中心部の荻町(おぎまち)。自然学校のある馬狩地区は、荻町から白山方向の山あいにクルマでほんの10分ほどの場所に位置する。近距離ながら、馬狩は荻町よりはるかに積雪が多いことで知られる。合掌造りを維持するためには、10軒ぐらいの家族がこの地域特有の「結(ゆい)」の精神で協力し合わなければならないとされる。

馬狩地区にも、1965(昭和40)年あたりまでは11軒ほどの合掌家屋があった。除雪作業は、積雪2メートルを超えると人力では及ばないといわれる。

馬狩には最高8メートルの記録が残る。除雪の人手、費用はバカにならない。過疎化の村には耐え切れず、昭和40年代の高度成長時代に1軒、2軒と離村が始まり、結果、丸ごとの集団離村に至る。

1973(昭和48)年、豊田章一郎氏(現名誉会長)と当時の村長が懇意だったこともあって、トヨタが離村費用を賄うようなかたちで馬狩地区全体を購入。社員の保養施設にでも、との考えだったようだ。家屋だけ残された11棟の合掌造りのうち最も築年数の浅かった1棟に管理人が入り、社員が家族と泊まりがけで保養に来たときの世話などをしていた。ところが、1981(昭和56)年、世に言う「ゴウロク(56)豪雪」に見舞われ、7~8メートルもの積雪となった馬狩の合掌家屋は1棟を除いて10棟が完全倒壊してしまう。