ニューヨーク出張のとき、社員の親が亡くなったとの知らせがきたら、田淵さんはホテルでお悔やみの手紙を書き始めた。どこへいっても同じで、見習った。「智貴免禍」も、そのころ確信した。「いくら隠れてやっているつもりでも、国技館の中をまわし姿で走り回っているのと同じ。自分ではそう思わなくても、多くの人にみられているものだ」。何事も、隠し通すのは無理。嫌なら、はじめからやらない。そう説かれた。

いちよしの社長になって90年代後半、支払いと受け取りの通貨が違う「デュアル債」を売って当てた。だが、何度目かに、募集期間中に為替相場が大きく動き、そのままだとお客がかなりの損を抱える事態となる。約定ではそのまま取引を続けてよかったが、「もうやめろ。損を出していいから、全部、解約しろ」と指示し、7億円の損を出す。扱っていた商品のリスクを再認識し、「いちよし基準」の徹底を進めた。

思えば、広報担当の常務として新旧社長を説得し切れなかったことが、残念だ。その古巣も、いま若くオーソドックスな社長を得て堂々と業界の先頭に立つ。広報活動も、安心してみていられる。

証券界に入る若い人の多くは、やはり相場で大きな手柄を立てたいのだろう。だが、いまや人生90年。60歳からの「もう一つの人生」の送り方が重要で、それに備えた資産形成が社会の要請だ。いちよしが目指すそのお手伝いこそ、いまの時代の「手柄」だと、後に続く面々に教えたい。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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