モノづくりの現場に行きたい

キリン R&D本部 酒類技術研究所 副所長 神崎夕紀さん

私はキリンビールのなかでも、めずらしいキャリアを歩んできたと思います。

大学の農学研究科を修了して、最初に勤めたのは体外診断用医薬品を開発している九州のバイオベンチャーでした。

修士課程を終えて就職したのが1988年、男女雇用均等法が施行されてほどなくのころで、まだ人材の募集要項には男性と女性の区別がありました。思えばそういう時代だったんですよね。地元の中学校や小学校の友達と再会する機会があると、今も現役で仕事を続けている人はほとんどが公務員で、民間企業にいるのは極めて少ない。当時はそんなふうに技術職の女性の募集が少なくて、ベンチャー企業であれば男女の区別もないし、研究もできるということで大学の先生に勧められたんです。

その会社には4年間勤めました。毎日、マウスを相手に実験を繰り返しながら、肝炎の検査キットを作ったり、抗体を作ったりする仕事です。ただ、そうした仕事でやり取りするのは、どうしても医師や医薬品メーカーの人たちです。もっと生活の中で分かりやすく消費されているモノづくりの現場に行きたいな、と次第に思うようになったんです。そんなとき、福岡工場で経験者採用の募集があったんですね。

熱い職場と寒い職場

以来、これまでキリンビールで働いてきた22年間のうち、私は主にビールやビール系飲料を製造する醸造担当に在籍していました。醸造担当というのは、昔から女性がほとんどいない職場だったんです。そもそも技術職の女性社員が少ないことに加えて、醸造の工場の現場というのは、三交代職場であり、厳しい暑さと寒さの両方があって、10キロ以上ある装置を持ち上げたりする作業もある。男性向きだとされてきたのでしょうね。

例えば、いま私たちがいるこの研究棟の廊下はすごく温度が高いですよね。ビールの製造の最初の工程では、麦芽を釜で煮て麦汁を作ります。その仕込みの熱が建物に流れ込んできているんです。

一方で完成したビールの貯蔵工程は、当時、部屋全体を廊下も含めて冷やしていました。なので、工場の熱いエリアは40℃から50℃あるのに対して貯蔵庫の方は5℃以下。みな厚いパッチを着て働いているという両極端の環境だったんです。

でも、私はキリンビールに入社してから、ずっとそんな現場で働きたいと思ってきました。