仰木の奇策は師匠・三原が得意な戦法

天の声、地の利、時の運を生かした仰木の奇策は、彼の師匠である三原脩(巨人、西鉄などの監督を歴任)が得意にした戦法だった。

藤田元司の回でも少しふれたが、1958年10月14日、水原巨人との日本シリーズに3連敗した夜であった。

西鉄監督の三原が福岡市荒戸町にある自宅に戻ると、番記者や関係者が20人ほど雁首を揃え、飲んだり、食べたりしていた。当時の三原宅は、様々な男たちが出入りし、中国の『水滸伝』に出てくる梁山泊のような様相を呈していた。

午後10時ごろ、誰かが提案した。

「麻雀でもやろうじゃないか」
「いや、遠慮しとくよ」

三原は拒んだが、周囲の男たちは許さなかった。

「いまさら、ジタバタしても仕方なかろう」
「まだ首の皮一枚つながっているんだぜ」

そういわれ、三原はしぶしぶ雀卓を囲んだ。だが、牌を握ると、なぜか心が落ち着いた。未明になり、雨が降り出した。すると、配牌がよくなり、満貫を連発した。

午前4時ごろ、

「少し横になるよ」

三原はいい、3時間ほどまどろんだ。

眠りを覚まされたのは、会社からの電話であった。

「雨も降っているし、グラウンドもぬかっています。きょうのゲームは中止にしたいんですが……」
「仕方ないでしょう。中止でいいでしょう」

三原はそう答えたが、内心はしめたと思ったにちがいない。

中止の決定権は日本シリーズの主催者、コミッショナーにある。そのコミッショナー事務局と西鉄球団の話し合いで、中止が午前8時すぎに決まったのだった。