「マスター制度」で技術をたたえる

取締役になった後、整備本部長に就いた。いくと、入社して最初の配属先だった油圧課はなく、別会社になっていた。「時代が変われば、職場も変わる」。若いころにも、そう思ったことが浮かぶ。新型機が入ったとき、大時計のようなアナログのメーター類がデジタルに変わった。すると、その道30年、メーターの微妙なところまでわかる職人も出番を失い、大学を出立てのデジタルがわかる人間に代わられてしまう。

年上の面々が、自分たちの職場はどうなるのか、と尋ねてきた。「装備品の修理で、自社で手がけているのは、あなたたちの分も含めて全体の2割。残る8割は、メーカーか専門会社に頼んでいる。でも、その2割が、貴重です。会社にとって、常に自分たちの手でやっておきたい大事なものだからです」と答える。

でも、彼らはまだ腑に落ちない。そこで、続けた。「常に課題となるものを『自分たちに任せておけ』と言えるなら、一生、職を失わない。でも、これしかできないと言ってしまうと、会社はもっとできるところを選ぶ。あなた方は『自分たちは整備しかできない』と言うが、整備の中身も、時代とともに変わる。それに応じてやれるようにしていけば、会社にとって、常に大事な存在でいられる。専門性も、変えていけばいい」。このときも、大それたことを口にしている気は、全くなかった。

整備本部長になると、技術系の専門性の認定制度で、最上級の「マスター」になった整備士を表彰し、食事する機会がある。そのとき、ある「マスター」が泣いていた。頂点に立てるのは、年間に多くても数人。その道の達人でも、会社の評価がすごく高いとは限らない。でも、「現代の名工」のように選ばれ、うれしかったに違いない。

実は、認定制度は、40歳になったころ、自分がつくった。整備本部には3400人いて、800人がスタッフ職で、あとは現場。どの人がどの部署で、どういう経験をしたかのデータはあったが、どのくらいの水準かまでわからない。以前から実力主義と言われていたが、「そうでもないな」と思っていた。やはり実力が認められてこそ、変化への対応にも進める。そう考えて、制度を提案した。大部隊では、簡単に課長や部長になれないから、こういうことも必要だ。これまた、特別のことをやったとは、全く思っていない。

「以不自爲大、故能成其大」(自らの大と爲さざるを以て、故に能く其の大を成す)――どんなに大きな仕事をしても、自分では大きいことをやったとは意識しない。そういう人間こそが、最も大きな仕事をしているとの意味で、中国の古典『老子』にある言葉だ。自意識を消して、無心に臨むことの大切さを説く。淡々と「やれることをやる」とする篠辺流は、この教えと重なる。

社長になり、部屋の照明を消してまぶたを閉じることは、もうない。代わりに、課題や自らがやらねばならないことを書き留め、パソコンに入れている。世界の航空業界は、新たな競争の途上にある。格安航空会社(LCC)が認められ、ANNも設立した。食い合うのではなく、棲み分けを確立しなければならない。国内の原発の全面停止などで燃料費が高騰し、コストが膨らんだ。

そうした難事を、どう克服していくか。どのテーマなら、誰に投げれば受け止めてもらえそうかを、いつも考えている。ただ、企画室時代は気楽にできたが、トップに立つと難しい。相手が「不自爲大」で気軽に受け止め、「やれることをやろう」と思ってくれれば、うれしい。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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