父親の時代との決別する社名変更

フランソワ=アンリ・ピノー氏

2013年、ピノー氏は社名をPPRからケリングへと変更した。

知名度だけを追求するならPPRのままでもよかったはずだ。グッチの買収劇でPPRの名前は世界に広く知れ渡っている。だが、ピノー氏はあえて社名変更に踏み切った。

ケリング(KERING)の「KER」とはフランス・ブルターニュ地方の言葉で「家」や「住み処」であり、ブランドの「住み処」を意図しているという。その「KER」に進行形の「ing」をつけた社名は、「経営資源を長期的成長の可能性が高いラグジュアリー部門スポーツ&ライフスタイル部門に集中し、これからもこの路線を突き進む」というピノー氏の断固たる決意表明であると同時に、トップの意識を組織に浸透させる意味合いが強い。父親の時代との完全なる決別でもある。

【ピノー】「05年に会長に就任し父親から全事業を引き継いだ時、最初は何よりもまず戦略的なオプションとしては何があるのかを検討しました。未来のグループにとっては何がいいのか、どういった要素を加えることができるのか。そこに私は注力してきた。そして、クリアな未来へのビジョンのもと、父がやってきたことを模倣するのではなく、新しいビジョンを加えていこうと考えました。私のミッションは、与えられたグループをその形のまま引き継ぎ、維持するのではなく、グループに新たな価値を加えていくこと。形を変え、規模を変えて後継者に引き渡すことが、これまでの、そしてこれからの私の任務なのです」

世襲企業には、息子に代を譲りながらもその経営手法に納得できず、再び先代が表舞台に返り咲くという例が少なくない。売り上げの低迷にしびれをきらし、あるいは新しい方向性に納得できず、会長が復権する、陰に隠れたまま傀儡のように息子を操る。どちらも決して珍しくない話である。

さらに多いのが、先代が作り上げた事業だからつぶせない、メスを入れられない、思い切った組織改革ができないというケースだ。これは世襲企業に限った話ではない。業種業態、規模の大小を問わず、どんな企業にも起こりうる。

しかし、ケリングはそうではなかった。

【ピノー】「私が後継者に指名されたのは03年のことです。ある日、いつもの執務室に行こうとすると父から『おまえの働く場所はそこではない』と言われ、役員室の鍵を渡されました。それからというもの、基本的にはアドバイスを受けてはいません。父はまったくコストがかからない素晴らしいアドバイザーなので(笑)、自分が必要だと思うときにはアドバイスを受けることもありますが。父は、私を後継者に指名する10年前に賢明なエキスパートを集めたピノートラスティ(評議会)を組織化し、私が後継者としてふさわしいスキルを持っているかどうか評価させていました。彼らの評価次第では、私が後継者から外されることもあったわけです。もしスキルがないと判断されれば、外の人間を後継者に持ってきたことは十分考えられます。継承プロセスはとてもシンプル。これは非常に重要な点だと思います」