「社会化される入り口」で、感じたこと

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。NEET株式会社代表取締役会長、鯖江市役所JK課プロデューサー。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。様々な企業の人材・組織コンサルティングを行う一方で、全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。
若新ワールド
http://wakashin.com/

「自意識過剰すぎる」と言われ続けてきた、僕自身の経験を少しお話ししたいと思います。

僕は子どもの頃から、本当に偏屈な少年でした。同じ集落にシンヤ君という同級生の幼なじみがいて、小学3年生の頃、彼と毎日一緒に集団登校の列に並びながら、思ったものです。「僕が僕じゃなくて、シンヤ君だったらどうなんだろう」「シンヤ君のなかにも、僕と同じような『僕』が入っているのだろうか」と。

ある日、授業参観ではじめて「詩」というものを書くことになりました。「普段思っていることを書いてみましょう」と先生に言われて、「なぜ僕は、この僕を生きているのか?」という詩を書き、発表しました。教室に失笑が広がるのを見て、「あ、言ってはいけないことを言ってしまったんだ……」と子どもながらに思ったのを覚えています。

思春期になると、自意識過剰にますます拍車がかかります。鏡だけでなく、車や建物の窓ガラスなど、自分が映るものはかたっぱしから気になり、自分の言動や他人の反応を過剰に意識するようになり、夜通し不安になる時も多々ありました。大学生になってからは、そんな自分を包み隠さず露呈させてしまおうと決断し、だいぶ楽にはなりました。

それでも、既存の組織には馴染めないであろうことを早々に覚悟していたので、大学の先輩と一緒に起業し、自分の社会的な居場所をゼロからつくろうと奮闘しました。会社は現在業界最大手になるほど順調に大きくなっていきましたが、やがて僕よりも年上で社会人経験のある人たちが転職してくると、組織の常識や「社会性」というものを強く求められるようになり、しばらくして創業者ながら取締役を辞めました。

最終的に会社を去る決断に至ったのは、「その髪の色やスタイルは、ビジネスではマイナスにしかならないですよ」という社員からの指摘がきっかけでした。人間とは不思議なもので、それまではどんな髪型や格好をしていても別に負い目を感じたことなどなかったのに、そう言われて一度気になりだすと、もうダメなんです。「マイナスにしかならない」気がしてくる……。客先に営業に行っても、「この人はやっぱり僕の髪型をよく思ってないのだろうか」とか、「やっぱり自分は胡散臭いよな…」とか。次第に自分の「普通とは違う」すべてを負い目に感じるようになり、どんどん卑屈になっていく。

おそらく多くの人は、ここでそういったネガティブな要素をどんどん削って、自分をマイルドにしていくのでしょう。不安や卑屈さを取り除いてうまく生きていくには、そうやって妥協し、自分をより一般化するのが無難で確実だからです。僕はその時、まさにこれが、人間が「社会化」されていくプロセスの入り口なのだと気づきました。そして、ここで一つ譲ってしまえば、その先すべてを譲ることになるのだろうと。立派な“社会人A”の出来上がりです。

社会なんて、それを構成する人たちによる最大公約数のようなものでしかなく、誰もがそれぞれに“ズレ”を抱えているはずです。それなのに、疑うことを忘れ、あらがうことを放棄し、あるはずもない「あるべき姿」にしがみついてしまう。それで幸せになれた時代は、もう終わろうとしているはずですが……。