巡査部長時代の決断

それにしても私が警察官になった頃と比べて、警察内部での女性の立場もずいぶんと変わりましたね。

私が警察学校を卒業したのは昭和50年のことでした。その頃の学校は女性と男性が別々で、卒業生も「婦人警察官○期」という数え方。ちなみに私は35期です。卒業配置でも男性が地域課であるのに対して、警視庁では女性は基本的に交通課勤務からキャリアをスタートさせていました。そもそも女性の数自体も今よりずっと少なくて、大きな署の刑事課や生活安全課、少年係に1人ずついるというような割合でした。

なので、私自身も今の立場になるまでのキャリアは、捜査第一課の管理官、管区学校の教官、検視官など「女性初」という場合が多かったんです。昇進試験でも警部補になれるのは年に2人という女性枠の扱いでした。警部にはさすがに枠はありませんでしたが、昇進する女性は数年に1人という感じでしたね。

自分のキャリアをそうした時代を生きた「女性警察官」という視点で振り返るとき、転機となった体験を挙げるとすれば、それは間違いなく、本庁の捜査第一課にいた巡査部長時代の決断です。

警視庁光が丘警察署長 原 きよ子(はら・きよこ)
1955年、群馬県出身。75年に警察学校を卒業後、杉並警察署交通課に配属。警視庁捜査第一課、管区警察学校の教官等を経て再び捜査第一課へ。性犯罪捜査を多く担当する。2007年には3度目の捜査第一課で、女性初の管理官として捜査を指揮した。13年の交通捜査課理事官を経て14年より現職。

稲泉 連=構成 向井 渉=撮影