小学校の夢は「社長になること」

なので今後は予防医療の分野がまず伸び、次の段階として医療費が下がる施策が出てくると僕は予想しているんです。その予防医療のビジネスをやりたいと思っていたところに出会ったのが社長の溝口(勇児)さんでした。僕はエンジニアですから、「じゃあ一緒にやりましょう」ということで、すぐにいまのREPULのアプリを作ったんです。当時は管理栄養士さんを活用して最適な食事を提案するようなサービスも、メールやLINEでユーザーとやり取りをしているような状態でした。それだと1人で10人くらいのお客さんを見るのが限界なのですが、アプリ化すれば30人くらいは同時にやり取りが可能になる。最終的には50人くらいに対応できるアプリをつくりたいと思っているんですけどね。

確かにFiNCはまだ始まったばかりの会社ですが、僕がこうしたベンチャーに飛び込むのは、もし予防医療の分野で何かがやってくるのであれば、それを担うのが自分であって欲しいと心から強く望んでいるからです。

僕は小学校の文集の「夢」の欄に「社長になりたい」と書くような子供でした。祖父が大阪でカステラ屋を経営していたことに影響を受けたのかもしれません。でも、実際に大学で会社を興してみて実感したのは、社長になることが大事なのではなく、社会的な意義があって、なおかつ自分が面白いと感じられる環境に身を置くことが大事なんだ、ってことでした。

プロフェッショナルな人たちといつも緩やかに繋がっていて、何かをしたいと思ったときにそれを実現するチームがすぐにつくれるような環境。例えば今の自分を例にすれば、予防医療をやろうと考えたとき、すぐに溝口さんや(COOの)岡野(求)さんと手を結べて、これまで一緒にやってきたエンジニアの仲間とも仕事ができる、みたいな。そういった人間関係のメッシュがだんだんと大きくなって、プロジェクトごとにくっついたり離れたりすることで、結果的にいろんなことができるようになっていく。たぶん、シリコンバレーなんていうのはそういう雰囲気があるんじゃないですかね。