デジタル端末に夢中になっていた乗客たち

ちょっと前の話になるが、2013年10月にアメリカ・サンフランシスコの市営鉄道の車内で大学生が男に射殺されるというショッキングな事件が起こった。もっと衝撃的なのは、十数人の乗客がいずれもスマートフォンなどのデジタル端末に夢中になっていて、射殺事件が起こるまで誰もそのことに気づかなかったことである。

車内に設置された防犯カメラによると、帽子をかぶったジャンパー姿の男がきょろきょろとあたりを見回し、明らかに挙動不審である。いつのまにか手に拳銃を持ち、それをあからさまにふりかざし、誰かを撃とうとしている姿が記録されている。乗客の1人でも気づけば大騒ぎになり、あるいは事件は未然に防げたかもしれない。しかし実際に乗客が異常に気づいたのは、大学生が撃たれた(拳銃の音がした)直後だった。

日本でも、つい最近までの通勤列車は、新聞、週刊誌、あるいは本を読んでいる人でいっぱいだった。同僚と談笑している人もいただろう。しかし、いまではスマートフォンやタブレット端末でゲームをしたり、音楽を聞いたり、ニュースを読んだりしている姿が目立つ。ある日、周囲の人がほとんどデジタル機器に見入っているのに気づいて驚いた経験をもつ人もいるかもしれない。

彼らは、サイバーリテラシー的に言えば、現実世界に身を置きながら、精神はサイバー空間を浮遊している。もちろん活字を読んでいても小説世界にのめりこみ、思わず一駅乗り過ごすということはあるわけだけれど、のめり込みの深さとその態様が、紙の本とデジタル機器ではずいぶん違うように思われる。耳で音楽などを聞いていれば、なおさらである。