中途半端な“マネジメント”は逆効果

「周囲」という勢力から反対されながらも、なぜ彼女たちはJK課に参加する覚悟を決めたのか。この活動に参加したからといって固定の報酬が得られるわけでもなく、高校からの推薦や評価がもらえるわけでもありません。もちろん、親や学校からの強制力も一切ありません。それでも彼女たちが自らプロジェクトに参加することを決断したのは、それをサポートする大人たちが、決して子ども扱いすることなく、「信じて、任せる」という徹底した姿勢を貫いてくれたからだと思います。

委嘱状を渡し、想いを述べる鯖江市長

JK課をサポートする鯖江市役所の職員の皆さんには、企画段階から、「彼女たちに対し、けっして“教えよう”という態度で接しないでほしい」とお願いしてきました。一般市民からは、「まずは挨拶や身だしなみから教えるべき」などという意見もありましたが、そういう議論は本当にしょうもない。そもそも挨拶や身だしなみというものは、その先に関わる人たちへの慮りや敬意があってはじめて意味をなすのだと思います。それが形式化されたものを、その外観だけをとって大人たちが子どもたちに押し付けるなぞは、もはや侮辱に近いとすら感じます。彼女たちが活動を通じて人々と関わり、社会からの反応やその感触を蓄積する中で感謝の気持ちや責任が生まれれば、自然とそれに応じたふさわしい振る舞いを見つけていくはずです。

もちろん、それがいわゆる「大人」たちにとって望ましい理想のものではなかったとしても、素直に歓迎するべきだと思います。今では「ありがたき幸せ」や「かたじけない」などといった文句を誰もフォーマルに使わないわけで、誰にとって何が正しい挨拶や言葉なのか、そんなものは時代によっていくらでも移り変わってきました。当事者たちの感情や感覚を抜きに大人たちが「あるべき姿」を論じることなど、あまりにナンセンスです。

大人たちが信頼し、中途半端に制御しようなどとしなければ、彼女たちは自分たちで考え、時間をかけてでも話し合ってくれるようになります。もちろん、最初はみんな困惑するし、一つひとつは難航します。それでも、次第に彼女たちの中でゆるやかな役割分担も生まれてきます。みんなをまとめたり、次々アイデアを出すメンバーもいれば、いつも頭の中で繰り広げている妄想で議論を盛り上げてくれたり、話すのは苦手だけれどちょっとした気遣いでみんなを安心させてくれるメンバーもいます。不思議なことに、それぞれのパーソナリティがにじみ出た、絶妙な補完関係が始まるのです。

そしてお互いにサポートし合うだけでなく、教え合い、学び合うようになります。このプロセスこそが人間の「成長」であり、敬意を払ってそれを見守り支援していくことが、人材の「育成」なのだと思います。だからこそ大人たちは、決して女子高生たちを中途半端に“マネジメント”するべきではないのです。