研究者、眼科医から起業、失明を防ぐ新薬開発に挑戦

私はシアトルにあるアキュセラ・インクという製薬企業のCEOを務めています。私が2002年にアメリカで起業した会社で、今年の2月に東証マザーズに上場しました。米国企業としては初めての単独上場です。アキュセラは、「加齢黄斑変性」(かれいおうはんへんせい)という網膜疾患を治療する飲み薬の臨床開発をしています。

私は、この「飲み薬」というアプローチが世界から失明を撲滅する鍵になると考えているのです。しかもこの疾患の治療薬として経口剤(飲み薬)を開発することは不可能だと言われていたのですが、私はそこに目をつけた。加齢黄斑変性とは、加齢に伴って中心視力が損なわれ、 症状が進行すると視力喪失もしくは失明する恐れのある眼疾患で、米国では中途失明の主要原因となっています。iPS細胞を使った世界で初めての臨床試験対象疾患になったことでも知られる目の難病です。

今でこそ企業の経営者をしていますが、はじめから起業を目指していたわけではありません。もともとは研究者、臨床眼科医という異なる分野で仕事をしていました。高校に入る頃にはすでに医者を志していたのですが、眼科領域を選んだのは、こどもの頃から目が好きだったせいかもしれません。ちなみに高校に入るころには勉強ができるようになっていたものの、小学生の頃はとにかく暗記ができなくて勉強が苦手な子供でした。そんな勉強ぎらいだった私を救ってくれた先生との出会いについてもいずれお話します。

さて、研究者、眼科医をめざしていた時代に話を戻します。慶應義塾大学に入学し、医学部に在籍していた頃、臨床の分野だけではなく研究にも興味を持っていました。どんなことができるだろうと研究をさせてくれる教室を探していた。1987年、利根川進先生のノーベル生物学・医学賞受賞で免疫学ブームだったこともあって、微生物学・免疫学の教室に出入りさせてもらうようになりました。二つ年上の先輩で、現在、セントルイスにあるワシントン大学で教授をされている今井眞一郎先生が、試験管の洗い方からラボのお作法までを教え込んでくれました。

新入りだった私に与えられた作業というのは、試験管やメスシリンダーを洗浄したり、試薬のストックを確認したりといった仕事ばかりで、いきなり研究というわけにはいきません。実験の下準備などの単調作業を繰り返す日々が続く中、幸運にも比較的早い段階で細胞の培地替えや滅菌操作などの基礎を教えてもらえるようになりました。ここでは大学病院で臨床現場に出るまでの4年間お世話になりました。実は、この微生物学教室で培った細胞培養技術が、後のアキュセラ創業にも役立ったのです。もちろん、この時の私は自分が起業するなんて微塵にも思っていませんでした。