過去の日本画や洋画は国内のマーケットしか意識しない、いわばドメスティックなものだったわけですが、現代アートは世界に通用するインターナショナルな作品群であることはくりかえし述べてきました。 一般的には明治維新の折に、海外から遠近法で描く洋画が入ってきたために、その対立の概念としてそれまであった絵画を日本画と呼ぶようになったと言われています。そのような外圧によって、伝統的な絵画を日本画と呼ぶようになったのは実は明治時代が初めてではありません。遠く平安時代にも唐絵に対して、大和絵という対立概念があったのです。

「大和絵(やまとえ)とは、倭絵、やまと絵とも書く。平安時代以降の絵画用語。常に中国の絵に対する日本の絵という意味で用いられるが、内容は時代によって変化した。平安時代には日本の世俗的な風物を描いた屏風絵や障子絵を指し、多くの場合、和歌とともに鑑賞された。中世に水墨技法を用いた宋元画が請来されると、それらを倣わず従来の描き方を踏襲する絵画はすべて大和絵と呼ばれた。桃山時代以降、大和絵は土佐派の家芸とされた」 『日本美術館』)(小学館)より

今、残っている大和絵の代表例は、1053年に完成をみた平等院鳳凰堂壁画や「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」、「鳥獣戯画」などで、すべて国宝になっています。

21世紀に入ってから、グローバリゼーションが加速する中にあって、日本の現代アーティストの中には、日本の古典の中に、新しい表現の種を見つけ、自分の表現を加えてパワーアップさせる手法をとってきているアーティスト達がいます。日本文化の表現方法として「見立て」や「本歌取り」があるのはご存じのことだと思います。「見立て」とは、既に誰でもが知っているような、あるものをある目的でなぞらえることを言います。日本独特の「見立て」感覚は、造園や茶の湯、歌舞伎や浮世絵などに根付き、頻繁に登場します。例えば男女が描かれる場合には箒を手にすることで、中国唐時代の「寒山拾得」に見立てていていたり、筆と短冊を手にしている遊女は紫式部に見立てて美しく描いたりしているのです。

また、「本歌取り」とは、過去にある芸術作品を知っていることを前提に、その作品をひねって展開させ、新しい作品に見せていくことを言います。和歌や短歌を作る時に、優れた古い歌や語句を意識的に取り入れ、新しい歌を読んできた伝統が日本にはあるのです。「この歌はこれがあって、こういう意味だからこうなった」とは誰も解説はせず、歌を聞いたり読んだりした人の教養の高さによって、理解する、というかなり高度、深い教養がなければ成立しない決まり事だと思います。絵画にも、そうした「見立て」あるいは「本歌取り」を作品に忍ばせている非常に面白い作品があるのです。

その筆頭は、山口晃です。彼はキャンバスに油絵の具で描く技法を取りながらも、有名な大和絵の構図や時代劇そのままのような風俗で公家や武士、町娘と現代のサラリーマンやOLが同時に画面の中に登場するような絵を描いています。また東京の上空から俯瞰した形で、金色の雲がたなびくような、まさに大和絵の中に登場する雲を描くという表現方法をとっています。