どれほど自由な世の中になろうとも、自分で選ぶことができないのが家族である。特に、どんな親から生まれるかということは、自由意思から最も遠くにあるといえよう。

ここまでは、一般論だ。だが、少子高齢化が進み、しかも急激な社会変動のおかげで、世代によって個人の権利と義務に関する感覚が大きく異なる今日の日本では、こんな一般論がひどく重く感じられる。親の老いに直面して、もはや若くもないその子供が、自分に自由があると思っていたのは錯覚だと、思い知らされるからである。宿命などという古めかしい言葉が、急に切実さをもって迫ってくる。

その切実さを実感させてくれるのが、3本の中編小説を収録した本書『長女たち』だ。タイトルからもわかるように、主人公はいずれも女性で、社会的な立場はキャリアウーマン、僻地医療に生きる女医、そして家事手伝いと、大きく異なっているが、長女であり独身という点は共通している。

いや、実はほかにも共通点がある。3人の主人公は、いずれも篠田節子の作品の多くに登場する、知的かつ有能だが、生真面目なせいで人間関係においては不器用な女性だというのがまず一つ。男運も揃って悪い。そうした女性が、年をとって心が弱くなり、醜悪なエゴを剥き出しにするようになった親と対峙するという筋立ても共通している。

「歳取って他人におしめを取り替えてもらうなんて、絶対に嫌。そんな恥ずかしくて惨めなことにならないように、必死で娘を育てたというのに」などと、老母に言われてしまうのだ。それを聞かされる長女はといえば、知的なので怒りはするが、生真面目なので逃げ出すこともできない。

そして医療関係者への綿密な取材にもとづいて、親の老醜の実態が「その通り!」と、多くの読者が膝を打ちたくなるような鮮明さをもって描き出されていく。だが全体を通読した感想は、決して暗澹たるものではない。ハッピーエンドとはもちろん違うが、明るい諦観とでも言うべき境地に達するのだ。

特に2本目の「ミッション」なる1篇(これは他の2篇とは趣きが異なり、舞台をインドのヒマラヤ地方に設定している)に登場する、長く生きるほうが幸せだという今日の先進国の通念が、そもそも間違っているのではないかという強烈な問題提起にぶつかると、親子の間の情念という、じめっとした私小説的な主題さえも相対化されてしまう。

人口の4分の1に達するほどに多くの高齢者を抱えるにいたった今日の日本は、人類史において前例のない状況に置かれているということに、気づかせてくれる。そして私たちが超高齢化社会が抱える深刻な病理を克服するには、本書で展開されるような文明論的な思考こそが必要なのである。