エンドレスな戦いの世界

しかし、それで万事解決でしょうか?

出世の場合で言うなら、晴れて自分も同期と同じマネージャーに昇進しても、今度は部長の椅子を巡る争いが、その次は執行役員選抜が待ち受けます。

その前に、同じマネージャーのグレード同士でも、アイツは格上で自分は格下だとか、他社の人からしてみればどうでもいいごく僅かな差を巡って競い合うに違いありません。

子どもの場合だって同じです。まず、どこで産んだ(聖路加や愛育などの一流病院で産んだか、地元の産院で産んだかなど)の争いから始まり、英才教育はどこで受けた/受けない、お受験に成功した/しない、そして、第2子に恵まれた/恵まれないといった争いを延々と繰り広げることになり、キリがありません(その間に、お互い見せかけの「おめでとう!」を言い合いながら)。

つまり、ライバルに何かにつけて張り合い、勝ち続けようとするのは、最初から無理がある話。生きながらにして無限地獄を味わうようなもの、心にも体にもいいはずがありません。

だったら、どうすれば、僻みやそねみから開放されて、心の平安を保てるか?

それは、時間が解決してくれる話だと思うのです。

私は、自慢ではありませんが、30代まではそれはもう、僻み根性のカタマリのような人間で、会う人会う人に焼きもちを焼いては、しょげかえっていました。