可愛らしい装丁につられて買ったが、中身はいたって硬派。思春期精神医学を専門とする著者が、現代の若者の間に蔓延する気分、価値観に舌鋒鋭く切り込んでいる。

第1パート「思春期解剖学」では、生存の不安から実存の不安への移行が論じられる。自分が何者であるか、という実存の不安。これを解消してくれたのは、1970年代までは宗教や思想だった。それが心理学にとってかわり、今世紀に入って前景化したのが、「コミュニケーション偏重主義」だという。

「コミュ力」「コミュ障」「KY(空気が読めない人)」「ぼっち(一人ぼっち)」「便所飯(1人で食事をするのを見られたくないためトイレで食事)」……。こうした言葉の蔓延は、現代の若者がいかにコミュニケーションを重視、あるいは過大評価しているかの傍証にほかならない。

皆が周囲からの承認を強く願い、その評価の基準はコミュ力。スクールカーストからエヴァンゲリオンまで、幅広く目配せしながらの解説は刺激的だ。

しかしこの傾向は、大人の社会も同様だろう。企業が新卒採用時に重視する項目の1位は、ここ数年判で押したように「コミュニケーション能力」である。その教育水準に耐えられるかを学力テストでチェックするのが本来のはずの大学入試でさえ、面接重視の傾向が止まらない。この分野で飯を食っている私ですら、ちょっと待ってと言いたくなるほどだ。

第2パート「精神医学へのささやかな抵抗」では、精神療法の現場のリアルで具体的な記述が印象的だった。

治療者は、おのれのキャラを十分把握しておく必要があるという。対象をキャラとして捉える習慣がある若者に対し、治療者が似合うキャラを演じると意思疎通がスムーズになりやすい。ある精神科医は診療を終えた女性患者に「じゃあお大事に、愛してるよ」と声をかけるそうだ。ちなみに著者自身は感情移入しにくく理屈っぽいロボットキャラ。

精神療法の目標は「現状維持」という視点も参考になった。改善のための提案はするが、生活の状況が変わっていなければ、「悪化していないこと」を前進と評価する。特に軽症事例では、症状と生き方の距離が近い。劇的な改善が起こったとき、何らかの犠牲が伴っていることも少なくないそうだ。

本書は著者が様々な専門誌に寄稿したものを集めている。精神医学関連の専門用語も多く、(一般読者には)難解な記述も多い。また、内容の重複も見られ、編集者がもう少しがんばれ、と突っ込みたい気分だ。しかし、それを補って余りある知見に触れられるとも思う。

「近頃の若者は……」などと決して言わない大人になろうと思っていたが、50歳を超えて、しょっちゅう言っている。彼らを理解できないと嘆くご同輩は、本書で少し理論武装してみてはいかがだろうか。