再審への長い道のり

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「袴田事件」をめぐる経緯

昭和55年11月13日、最高裁で上告が棄却され、袴田さんの死刑が確定した。

その後、袴田事件の再審請求(第1次)は、昭和56年4月20日、静岡地裁に提出され、平成6年8月8日、棄却された。同12日、ただちに東京高裁に即時抗告。

平成16年8月26日、即時抗告棄却。同年9月1日、最高裁に特別抗告、平成20年3月24日、最高裁は特別抗告を棄却。これを受けて同年4月25日、弁護団は静岡地裁に第2次再審請求をおこない、それが今回、認められたものである。その経緯について述べると――。

平成23年8月23日、静岡地裁で裁判官、検察官、弁護団による「三者協議」が開かれ、「5点の衣類」におけるDNAの再鑑定実施が決定した。なかでも白い半袖シャツの右肩からはB型血液が検出されていて、右肩を負傷した袴田のもの、と検察が主張した経緯があり、その鑑定結果が注目された。

弁護側、検察側双方から鑑定人が指名され、DNA鑑定が進められている間、同年12月5日、静岡地裁(当時・原田保孝裁判長)は、静岡地検に対し、176点の証拠開示を勧告。同12日、地裁で開かれた三者協議で静岡地検は、176点の証拠を開示した。

初めて開示された証拠は、昭和41年9月21日に録音された検察官による取調べテープや、未提出の供述調書34通、当初、犯行着衣とされたパジャマの鑑定書4通、実況見分時のネガフィルム41枚などである。これら証拠から、5点の衣類のうちズボンは、「寸法Y5 色C」と写真撮影されていたにもかかわらず、「寸法4 型B」と改竄されている事実が判明した。ほかに、緑色ブリーフに関しては、カラー写真の存在が判明。モノクロでは判然としなかったが、鮮やかなグリーンを保っており、1年間味噌漬けにされているにしてはいかにも不自然で、検察側が提出しなかった理由も推察できる証拠であった。

平成24年3月14日、東京拘置所に収監中だった袴田さんが血液を任意提供し、さらにDNA鑑定が進められた。その結果は、同年4月13日と同16日、静岡地裁に提出された。

半袖シャツに関しては、弁護側、検察側の鑑定人ともに、「不一致」とした。さらに、弁護側の鑑定人は、ほかの着衣についても袴田さんのDNAとは、不一致とし、被害者のDNAと一致するものも確認されない、とした。検察側は、緑色のブリーフに関しては、「一致を排除できない」と表現した。

同年12月26日、静岡地裁で弁護側鑑定人に対する反対尋問がおこなわれ、鑑定試料から血液由来のDNAを抽出できた根拠、試料が古いためDNAが破壊されているのではないか、血痕以外のDNAで汚染されているのではないか、など尋問があった。これに対し、弁護側鑑定人は、適切な手法で鑑定したことを説明、鑑定結果には自信がある、と述べた。なお、反対尋問が終了したことで、氏名秘匿の理由は必要性はない、と弁護側鑑定人は、本田克也・筑波大学教授であると明かした。本田教授は、足利事件のDNA鑑定を手懸けたことでも知られている。